菅原孝標女『更級日記』

菅原孝標女更級日記

      平安朝末期の中流貴族の娘・菅原孝標女(1008―1060年)の日記は、女の一生を綴った自分史である。夫・橘俊通が58歳で亡くなったあと書いたと見られ、自分も2年後に死んでいる。
       最後は、「をばすて」となっており、夫なきあとの老境の侘びしさが書かれ、「ひまもなき涙にくもる心にもあかしと見ゆる月の影かな」という歌で終わっている。月の歌が多い。地味で月のように、太陽の光で輝くものに憧れた作者を象徴している。この月は、浄土を求める阿弥陀如来だろう。
少女時代、父が東国・上総国の受領だったため、田舎で京都に憧れ、『源氏物語』を断片で読み、父の転勤で、京に帰り。源氏を全巻手に入れ読破する喜びは躍動している。だが、姉や乳母の死や義母の別離などがおこり、現実が物語世界を喪失させていく。オールドミスになり。あこがれの宮仕えも経験するが、ロマンスも生まれない。
更級日記』は、幻滅の物語だが、現実の平凡な家庭生活を、しつかりと生き抜いていく作者の心構えが光る。源氏の浮舟を憧憬しながら、年上の中流貴族と結婚する。当時では晩婚だったろう。この日記には夫や結婚にはあまりふれられていないから、源氏的ロマンスではなかったろう。
一部の解釈では宮仕えの時期にあこがれの恋人らしき貴族の存在を示唆するが、日記を読む限り、それは淡いひとときの交際としか思えない。作者は次第に寺詣でなどで浄土教に傾斜していく。
平安貴族の「雅」の恋愛物語から、浄土教阿弥陀如来の信仰に憧憬が変化していくのは、紫式部と似ている。源信『往生要集』も出てきていたし、貴族性崩壊から中世の時代が、ほのかに見えてくる。美から信仰に、この作者は、あこがれの世界にやはり生きていたのだと思う。(『更級日記』関根慶子・全訳注、講談社学術文庫