マルクス『ユダヤ人問題によせて』

初期マルクスを読む(1)
マルクスユダヤ人問題によせて』『ヘーゲル法哲学序説』
 
      若きマルクスが1844年に書いた著作である。今読んでも、その力強い批判精神が躍動している。人間の解放を訴え、観念の理論でなく、実践による社会変革を訴えていて痛快である。
      ユダヤ人の幻想的な国籍は、商人の、実際的欲求は私利で、金銭性が国籍であるという。ユダヤ人の神は現世的なものになり、現世の神であり、彼らの神は「幻想的な手形」にすぎないという。一見反ユダヤ思想にみえる。だがそうではない。
      マルクスは、「国家」と「市民社会」の分裂により、「公民」と「市民」に二重化し、市民社会に生活する個人は「類的共同性」を失い、利己的な個人になる。「公民」は抽象的になり、社会的結合による人間的解放から疎外される。
      ユダヤ人が公民として解放されるには、ユダヤ教の廃棄、宗教解放だけではない。ヘーゲル法哲学序説で、マルクスは「人間が宗教をつくるのであり、宗教が人間をつくるのではない」という。「宗教は、抑圧された生きものの嘆息であり、非情な世界の心情であるととのに、精神を失った状態の精神である。それは民衆の阿片である」という。
     ユダヤ教キリスト教のような宗教は、幻想であり、人間の自己疎外であり、市民社会では貨幣神という物神崇拝の幻想的仮装にすぎない。宗教的解放は、政治的・経済的解放がなければ成就しないのである。
     だがマルクスは人間のラヂカルな普遍的解放を、人為的につくられた貧民であるプロレタリアの私有財産の否定という市民社会からの解放に求めている。だが、そのプロレタリアが、「市民」の自己疎外と同じような独裁国家を造り、労働者の自己疎外に陥り、人間の普遍的解放にならなかったことを知ったなら、どう思っただろうか。(岩波、文庫、城塚登訳)