岡義武『独逸デモクラシーの悲劇』

岡義武『独逸デモクラシーの悲劇』
 

             政治史の岡義武(1902−1990年)が戦後すぐの1947年に書いたヒットラーは何故民主主義から生まれたかという古典的名著である。
             この本ではワイマール憲法の民主主義体制で、ヒットラーが登場する分析を描くが、同時に「環境に関連して観たる19世紀末の独逸の民主主義運動」が収録されていて、ビスマルク時代に、民族主義帝国主義勢力)と民主主義(反帝国主義勢力)の相克が、自由主義を育てにくくした政治過程が綿密に分析されている。
             第一次世界大戦後に「地球上でもっとも自由な国民」にしたというワイマール憲法が成立した。そのワイマール共和国は、インフレや巨額な賠償、世界恐慌で失業者増大など社会状況の悪化のなかで、左右党派の政治闘争が激化する。立法議会とそれを動かす政党が機能不全になり、そこにナチス党と共産党が躍進し、中道自由主義社会民主主義党が没落していく。
            「指導者なき民主制」から「指導者独裁の民主制」が出てくるのはどうしてか。岡は、ワイマール憲法にあった大統領の「緊急命令」をあげ、国会の承認を得ず、国民の基本的人権や所有権の停止を上げている。議会が左右対立で機能不全のとき結社や集会、言論の自由が停止される。ヒットラー登場前に、ヒンデンブルグ大統領時代「緊急命令」が頻発し、議会立法は減少していたと岡は指摘している。ヒットラーは緊急命令による選挙干渉で大勝していく。
          ヒットラーは、その延長上に委任立法権を政府にあたえる「授権法」を多数決で成立させ、ワイマール憲法を改正し息の根を止める。岡はナチ支持者は、中小企業者、サラリーマン、利子生活者など中産階級であり、ユダヤ人に象徴される大企業者、金融業者、デパート経営者に反対したと述べている。
岡はワイマール憲法の不幸の中に生まれ、不幸の中に生き、夭折した薄倖な生涯を辿り、「自由は与えられるものではなくて、常にそのため闘うことによってのみ、確保され又獲得されるものである」という文章で終わらしている。(文春学芸ライブラリー、三谷太一郎解説)