『現代小説クロニクル2005−2009』

『現代小説クロニクル2005―2009』

     日本文藝家協会編の05−09年の短編集である。解説で川村湊氏がいうように、ネット・ブログ小説、携帯小説の時代であり、動画が始まった時である。川村氏はそうしたなかで若い小説家の書き方もかわってきたという。物語性やストーリー性や起承転結の構成が消失し、「ポストモダン」的短編が出てきたと指摘している。
    この集でも、平野啓一郎「モノクロウムの街と四人の女」は、突然に街がモノクロになり、そこに色を失った貴金属や最新ファッションで着飾った四人の女が登場し、太陽に浴した男がさらに登場し、色彩が戻ってくるだけを描く。最後は変わり目に気づかず、色が混ざり合い、「永遠の混濁の中で、自らの姿を失う」で終わる。
 川上末映子「あなたたちの恋愛は瀕死」では、新宿の街頭でティッシユ配りの若い男性と、突然セックスをする妄想を巡らす性的不満を描く。柴崎友香「宇宙の日」は、日比谷野外音楽堂でのライブでの音楽の宇宙的熱狂や陶酔を描くだけである。
     非合理的な変身や偶然性・断片性も強まる。伊井直行「ヌード・マン・ウォーキング」は、ヌードで徘徊する変質性に目覚めた中年男が、発見寸前に樹木に変身してしまう。
           小川洋子「ひよこトラック」は、ホテルマンと失語症少女が、虫などの抜け殻収集や、大量のひよこを運ぶトラックがぶつかり、逃げたひよこを収集することだけが書かれている。田中慎弥「蛹」もカブトムシの地下での「変身」を、細密画のように描くだけだ。
    江國香織「寝室」も、突然の変心をあつかい、理由は明らかにされない。佐伯一麦「むかご」もマンション管理人がこどもに手品をみせ、冷暖房の室外機にむかごが詰められていたという短編である。そうした断片(青山七恵「かけら」)に、他者との人間関係が詰め込まれてくる。吉田修一「りんご」、楊逸「ワンちゃん」は、香港や中国という国境を越えた小説だが、他者との人間関係のあやうさと両義性を短編小説にしている。(講談社文芸文庫日本文藝家協会編)