スタロバンスキー『オペラ、魅惑する女たち』

スタロバンスキー『オペラ、魅惑する女たち』

       フランス18世紀のルソーなどの研究のスタロバンスキー氏が書いたオペラ論の傑作である。オペラが独特の魅力をもつのは、伝説的な過去の魔術的魅惑、いまこの瞬間の魔術的魅惑へと変貌させる技術にあるという。
官能と想像力で魅惑する女性をオペラでは,「驚異」として取り上げる。
       カルメンやルル、ポッペアとサロメ、夜の女王とトーランドット、フィガロの結婚のスザンナやマノン、さらに椿姫と、スタロバンスキーは魅惑する女性に焦点をあてオペラの魅力を描いていく。
       この本ではモーツァルのオペラ「ドン・ジョバンニ」「コシ・ファン・トッテ」「イドメネオ」「フィガロの結婚」などが多く扱われている。「魔笛」は「光と権力」と題され、ターミノとパミーノの行く末を、フランス革命を彩る黎明と太陽の勝利として先取りしている。ルソーの「エミール」という教養小説との類似や、ザラストロの叡智による調和の支配に対して、夜の女王に象徴される暗黒の女性原理に否定的な音楽になる。
        だが面白く思ったのは、モンテヴェルディポッペアの戴冠」や、ヘンデルアルチーナ」、マスネーやプッチーニの「マノン・レスコー」の論じ方である。マノンでは、マノンとデ・グリューの最初の出会いの瞬間の魔術、魅惑という「愛の専制支配」、移り気・気晴らし・快楽という官能と想像力、父への反抗(椿姫の従順さとの対比)、無秩序の声の魅力が語られている。
        バロックオペラの傑作ヘンデルアルチーナ」のスタロバンスキーの聴き方も面白い。芸術の目的を快楽の追求におくとすれば、芸術は魔女が住む魔術的魅惑の円鐶のはいらなければならないという。
        アルチーナは、宮殿、庭園、快楽の女主人である。その妹モルガーナは、移り気のバロックの象徴であり「愛し、愛さなくなる、それが私の意志なのです」と歌う。「コシ・フアン・トッテ」の二人の女の移り気。カルメンも。男も「ドン・ジョバンニ」の過剰さが、音楽の本質にある。
       「すべては絶対確実な和声の明証性のなかで組み立てられ、つながりを得る。錯覚の宮殿が崩れ落ち、錯乱が終わりを告げるとき、音楽は注意を怠らずにいる透徹した理性に道を開く」とスタロバンスキー氏は書く。カルメンにしろ、ルルにしろ「宿命の女」は崩壊し死にいたる。(みすず書房、千葉文夫訳)