室井尚『文系学部解体』

室井尚『文系学部解体』

   いま日本の大学は、市場自由経済システムに政府の統治で転換されでいる。実用的人材育成のための知識の効用化がおこなわれている。室井氏の本は、2015年文科省が通達いわゆる「文系学部・学科の縮小」に対するプロテストの書である。私は、同感する。
   かつて「大学解体」が新左翼学生運動で唱えられた。だがいま自民党政権がおこなっているのは、新右翼による解体である。今回は教員養成系大学の「新課程」という「教養的知性」が狙い撃ちされた。大学教育で一番大切な自発的知性は専門学でなく、幅広い教養的知性の上に築かれるものだ。時の政府・支配層に役立つ奴隷的知性を植え付けるのは、大学の役割ではない。
    そのため大学に資本主義的企業の経営学的運営の知性を持ち込むことも、大学教員を堕落させ、無気力にさせていく。室井氏は「手続き型合理性」といっている。大学は企業でなく「アカデミー」という教師と学生の共に知識を研究し学ぶ共生の連携体である。これが解体されてしまったら、株式会社大学に総てなってしまい、社会と直結した「下請け大学」になるだろう。
    大学教員の専門官僚化、外部資金獲得のセールスマン化、政府支配に迎合し、文科省の「効用流行」に乗っかる日和見主義などが、経済成長と軍事的安全保障の「人材」育成機関に、大学を変えてしまっている。戦争中文学部が廃止され、軍事研究に巨額の資金が投入された歴史を忘れてはならない。大学は軍事研究の場ではない。もし東大が防衛省から軍事研究資金をもらうなら、私は名古屋大学の平和憲章をアカデミーの基礎として支持したい。
    室井氏の属する横浜国大の人間科学部人間文化課程の暴力的廃止に抗議する。アカデミーとは、「無用の用」という余裕をもった知性の学びであり、そこから創造的知性が育まれていく。室井氏は、自分の大学についての抗議をブログで書いてきたが、この本ではより広く、歴史、思想、政治の分野まで視野を横断的に広げて深く考察している。
    いまや敗北に近づいている大学に対して、教養的知性の明かりを室井氏に私は見る。「反知性全体主義」という怪物が、大学を解体していく。
「効用の知」は、生産産業社会・管理社会のモダンの知であり、人工知能と競合していく。これからのポストモダンの知は、ポスト人工知能時代の「遊び」と非効用的な知識産業社会の創造・連帯の知であるべきだ。それは。従来の「教養」の基盤のうえに花咲くのである。教養は未来の学なのである。(角川新書)