鶴間和幸『人間・始皇帝』

鶴間和幸『人間・始皇帝

東京・上野の東京国立博物館で、今「始皇帝と大兵馬俑」の展覧会が開かれている。音声ガイドの壇密氏は、始皇帝の埋葬時の思いやりや、あの世への思いを当時の人が自由に表現した最上級の偲びという。(「朝日新聞・2016年1月26日」)
中国古代史の鶴間氏は、始皇帝が即位してすぐ、始皇帝陵の造営を始め、70万人以上の刑徒を動員したという司馬遷史記」の記述を検討している。40年まえの兵馬俑の発見以来推計8000体の兵馬があるとされ、司馬遷はその存在を知らなかった。
始皇帝自身が永遠の世界を構想し「地下宮殿」をつくりだした。この宮殿はまだ発掘されていないが、存在は確認されている。秦国には殉死の風習があり、二世皇帝は、始皇帝後宮で子のない女官の多くをこの始皇帝陵に生き埋めにしている。秦の殉葬は、始皇帝の前までおこなわれている。
孔子は俑(ひとかた)を批判し、人の魂を写したようなリアルな俑を造り埋めるのは、儒家として忍びないとしていると、鶴間氏はいう。始皇帝死後の殉死の遺体も、多く発掘されている。思いやりとは思えない。
鶴間氏によれば、70年代以後に地下から発見された考古史料によって、いままで「史記」に頼ってきた始皇帝の像が違ってきていると、この本で綿密に立証している。出生の秘密、暗殺未遂事件、統一の深層などが明らかになりつつあり、興味深い。
始皇帝は「皇帝巡行」を数多くおこない、南北より東西を重視し、東方の海に行き着いた。秦は内陸帝国であるとともに、海域帝国の両方の側面を持っていたという。砂漠の蛮夷にたいして万里の長城を築き、海の南越など東南アジアには運河や造船工場をつくり、首都と直通の軍馬を送り込める「中華帝国」を目指した。
今の中国が北進と南進で国土領域を拡張しょうとしているのは、始皇帝以来なのかとも思ってしまう。巨大土木国家で覇権国家であった秦帝国にたいし、博士や史官から「温故知新」という歴史事実を尊重し、戦争を止めるような批判が出た。これに対して、古を知る必要はないと、秦の記録以外は焼却せよという「焚書令」が出された。古を以て今をそしる者は、一族皆殺しという「焚書杭儒」がおこなわれたという鶴間氏の指摘は面白い。
現代の歴史認識論争を思わせる。2200年前の話だが。(岩波新書)