シェリー『鎖を解かれたプロメテウス』

シェリー『鎖を解かれたプロメテウス』


            英国ロマン派詩人シェリーの詩劇である。30種以上の詩型を駆使したというが、残念ながら、訳詩で読むから私には、その格調の高い響きはわからない。だが、石川重俊氏の重厚でありながら、抒情に満ちた訳詩でも、興奮してくる傑作である。28歳という死の2年前の作品なのだが、私はベートウベン第九交響曲のような感動を受けた。
            人類に火を与えジュピターにより岩山に鎖で縛られ、鷲に肝臓を啄まれる永遠の苦痛を耐えるプロメテウスのギリシア悲劇アイスキュロスの原作を、シェリーは見事に書き換えている。ジュピターという暴虐な支配者と妥協・和解するアイスキュロスに対して、プロメテウスは「勇気や威風、全能な力に対する強固で忍耐強い反抗心を持っているが、それに加え、野心、羨望、復讐、増長への欲求といった汚点をもたぬものとして描く」(シェリー序文より)詩的サタンなのだ。
             シェリーのプロメテウスは、「愛なければすべての望みは虚しい」と最初からジュピターに対する憎悪の心から解放されている。精たちの歌でも「優しさに抗うな 柔和の内にこそ力がある。その力によって永遠なるもの、不滅なるものが、生命の入口から、その王座にとぐろまく蛇のような運命を解き放つ、柔和な力のみによって」と詠う。
             愛と美の合一の理想、暴力の否定、暴力による権力の奪取、暴力の自滅が、シェリーの信念になっていると、訳者。・石川氏も指摘している。シェリーの劇詩では、ジュピターは自滅していき、プロメテウスは鎖を解かれ解放される。暴虐な暴力は自滅していくのだ。シェリーは急進的思想を持っていたし、当時はフランス革命からナポレオンの時代だった。
           第三幕三場から第四幕にかけて、「世界改革の情熱」と「新世界の歓喜」のシンフォニー的な過去や未来の精の頌歌は素晴らしい。ロマン的理想に満ちた劇詩である。(岩波文庫、石川重俊訳)