草野隆『百人一首の謎を解く』

草野隆『百人一首の謎を解く』

           国文学者・草野氏は、多くの謎が百人一首にはあるという。いつ誰が何のためにという基本から、不幸な歌人の歌が多く、「よみ人しらず」はなく、実績無い歌人が収録され、有名歌人も代表作が入っていない謎がある。当時流罪されていた後鳥羽、順徳院の歌も在る謎。
            草野氏は、通説の藤原定家選歌説も、小倉山荘説も名歌集成説も否定している。百人一首には、定家の自筆冊子はなく、190年後の室町時代に浮上したという。戦後に発見された定家「百人秀歌」が大きな鍵となる。
          この「百人秀歌」は、浄土僧・蓮生(鎌倉御家人・宇都宮頼綱、定家の息子の妻の父)から依頼された嵯峨山荘の障子の色紙形和歌のため定家が選んだ。それが基になっているというのだ。
           草野氏は、蓮生という武人僧侶の山荘の造りが謎を解く鍵としており、同時に浄土宗の世界観と阿弥陀如来の救いという苦楽の思想が、選歌に影響しているという面白い見方をしている。そのため定家のシカケは、今昔の苦界に沈んだ歌人たちの追善供養・鎮魂と顕彰、浄土に導くように選歌したと見る。そのため幸せで、かげり無い歌人や、釈教や賀の歌は選ばれず、選ばれた歌人の代表作も入らない。
          「百人秀歌」が「百人一首」へと変貌していく過程も面白い。やはり蓮生や定家の子為家の存在も大きい。秀歌と違うのは、後鳥羽、順徳院の歌の追加、定子皇后など3首削除、歌純の全面変更などがあるという。苦の世界の鎮魂だから、蝉丸の身体的障害の差別、道因法師の老醜、削除されたが定子皇后の病苦、源実朝の暗殺、など悲惨な歌人が選ばれる。
          私は百人一首がカルタになり、正月などめでたいときにカルタ取りがおこなわれているが、その成立の謎が、苦界からの阿弥陀仏の救いと鎮魂だとすると、その変貌に驚く。鎮魂の歌集なのだから。(新潮新書