武井弘一『江戸日本の転換点』

武井弘一『江戸日本の転換点』

武井氏は、江戸時代を水田稲作を中心に持続可能なエコ・循環経済としてとらえ「日本近世型生態系」と考えている。その上で17世紀から18世紀にかけての日本列島改造としておこなわれた新田開発が、表層的には収穫量が増え、人口増をもたらしたが、深層では、ヒトと生態系の調和が崩れ、農業生産は持続可能でなくなり、「水田リスク社会」が生じたと分析している。
武井氏は、江戸前期を、加賀藩篤農家・土屋又三郎の農書「耕稼春秋」に基づき新田開発時代の近世日本型生態系を描き、18世紀の開発以後の水田リスク社会の生態系の危機を、東海道川崎宿の名主・田中丘隅の「民間省要」により描いていく。田中は幕臣にまで取り立てられる。
生態系の崩れが、緑の革命ともいうべき稲の品種改良によって増収されていくが、白米至上になり、赤米、青米など持続可能な多様な品種が無くなり、災害の時飢饉が起こりやすくなる、さらに藁、糠、籾といった水田農業の生態によって生じた産物が、大量な廃棄物化し、肥料や家畜の飼料の有効利用が減っていく。
代わりに肥料としてリサイクル経済を循環させてきた人糞や馬糞から、生産増大のため、干鰯など金肥などが多くなり、明治以後の化学肥料になり、生態系を壊していく。虫害も鯨油や菜種油など、水田にまき虫を殺したため、コウノトリなど鳥が絶滅していく。殺虫剤DDTなど農薬の先駆けが始まる。馬、牛などの飼育も貨幣経済で飼料を飼うため、貧富の格差が生じてくる。
治水の問題は、新田開発後に大きな問題になる、田中丘隅が苦心したの、ため池、用水路の水争いから、酒匂川の水害工事まで水害をいかに防止するかである。新田開発で河川の流域まで耕地が広がり、里山の家畜の飼料のための温存は、金肥などで荒廃していき、土砂崩れ=山津波も多発する。
田中は、土木工事を豪商の入札よりも、地域住民も意見を聞き地元で請け負う方式を導入しょうとした。国家やゼネコン主体でなく、地域コミュニティによる生態系再興だが、現代と同様に挫折させられる。里山資本主義論に似通う。
この本は、江戸から明治維新に変革していくことを、戦後歴史学百姓一揆の重視に置くのではなく、高度経済成長による増産が、生態系を破壊し江戸期の持続可能性が出来なくなることを、史実により実証的に叙述していることを重視しているのが面白い。江戸時代の新しい見方だと思う。(NHK出版)