中島みゆき『中島みゆき全歌集』

中島みゆき中島みゆき全歌集』

       私は。昼カラで中島みゆきの「宙船」が好きで詠う。作詞もいい、詩人としても優れていると思う。(1875年―1986年)と(1987年―2003年)の歌集を読んだ。

       初期は「別れ歌」や「恨み歌」といわれたが、それは違う。私は「失恋のプロテスト・ソング」だと思う。演歌的な湿気や恨みはない。クールでハードボイルドなのだ。1980年の「うらみ・ます」は。「・」が間にはいっているように、うらみを演技し、それを見ている別の自分がいる。「悪」を演じる。「うらみます いいやつだと思われたくないもの」。「悪女」では「涙も捨てて 情も捨てて あなたが早く 私に愛想をつくすまで」それは、演歌の恨み節の対極にある。
     無常観とも離れている。中島氏の時間は。一方的に直線で流れるのではなく、反復し円鐶を描く。「時代」では、「まわるまわるよ 時代は回る 別れと出逢いを くり返し 今日は倒れた 旅人たちも 生まれ変わって 歩きだすよ」と詠う。
     中島氏には強い自己肯定と自己陶酔がある。それが「強さ」に見える。だがそうだろうか。傷つきやすい心情と、報われない行為への励ましがる。中島氏は、自然の花鳥風月に自己を仮託しない。空、海、雪、宇宙 という広い自然空間を、心情空間にする。「空と君のあいだに」では、「空と君のあいだには 今日も冷たい雨が降る 君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる」
     「むくわれなさ」の詩人だ。傑作「地上の星」では、「嵐の中のすばる 砂の中の銀河 みんな何処へ行った 見送られることもなく」と歌い出す。「ヘッドライト・テールライト」でも「語り継ぐ人もなく 吹きすさぶ嵐の中へ 紛れ散らばる星の名は 
忘れられても」という。
     誰かが痛み、非力な僕は嘆きながら、なお出発しようとする。「銀の龍の背に乗って」は、なお飛ぼうとする。「わたボコリみたいな翼でも 木の芽みたいな頼りない爪でも 明日僕は龍の足元へ崖を登り呼ぶよ「さあ行こうぜ」銀の龍の背に乗って 届けて移行 命の砂漠へ」
     時代も心情もだいぶ違うが、中島氏の詩を読んでいて、私は、故・茨木のり子の詩を連想させた。(二冊とも朝日文庫