矢部宏治『戦争をしない国』

矢部浩治『戦争をしない国』

       副題に「明仁天皇メッセージ」とあるように、明仁天皇のお言葉や行動の戦後70年の軌跡を追って書いている。この矢部氏の本を読み、私は日本国憲法をもっとも忠実に体現しているのは、象徴天皇そのものだと思った。民主主義と天皇制の矛盾は、象徴天皇という曖昧な制度になっている。だが明仁天皇は、民主立憲的な天皇を確立しようとしてきたとことがわかる。非政治的「l国事行為」をする護憲天皇であり、超憲法による解釈改憲を行っている安倍政権権力とは違う。
       矢部氏は『日本はなぜ「基地」と「原発」をとめられないのか』を書いた「非戦派」だけあって、明仁天皇が父である昭和天皇の戦争責任を深く悩み、戦争をしない国という憲法9条と、象徴天皇制との狭間でいかに、明仁天皇が苦悩し、行動していったかを述べている。
       第二次世界大戦の戦死者・戦没者への「慰霊の旅」と、中国・韓国という侵略の犠牲になった近隣諸国にたいする謝罪と反省による不戦の誓いが、明仁天皇のお言葉から見られる。1972年41歳の皇太子と美智子皇太子妃は、慰霊のためひめゆりの塔で、火焔瓶を投げつけられた。
      「石ぐらい投げられても県民の中に入っていきたい」と、沖縄戦の慰霊を決意していた明仁天皇は、皇太子時代5回、天皇時代5回計10回沖縄の戦没者墓苑に慰霊している。
       沖縄戦の最激戦地に建てられた「魂魄の塔」で「琉歌」で「花よおしやげゆん 人知らぬ魂 戦ないらぬ世よ 肝に願て」とさえ詠んでいる。2014年の学童疎開船「対馬丸」撃沈で多くの沖縄学童の慰霊にも訪れている。
       それは、サイパンパラオの戦死者慰霊にまで続き、天皇の「慰霊の思想」は海外にまでひろがり、サイパン島では朝鮮半島出身者や民間人まで含まれている。政治から離れた立場で「国民の声なき人の苦しみに寄り添う」という天皇のお言葉は、A級戦犯合祀の靖国神社しか考えない政治権力者と対照的である。
       矢部氏によれば、天皇は近隣諸国にたいし「歴史修正主義」の立場をとっていないと見ている。1992年中国訪問の歓迎晩餐会で、我が国が戦争で中国国民に多大な苦難を与えたことの謝罪と、こうした戦争を再び繰り返さない「平和国家」になると述べている。         1994年韓国金泳三大統領の宮廷晩餐会で「明確な謝罪」を述べ、2001年の日韓サッカーワールドカップの前の誕生日記者会見で、「私自身としては。桓武天皇の生母が百済武寧王の子孫」とに韓国とのゆかりと連帯さえ述べている。
       安倍首相が憲法改正をいうとき、私が違和感をかんじるのは、すでに「改憲」はなされてしまっているからだ。集団的自衛権は9条を空洞化した。立憲民主主義は踏みにじられてしまった。皮肉なことに昭和天皇の戦争責任の免責が、現天皇の贖罪の思想とつながり、慰霊と「戦争をしない国」という歴史認識になっている。
      いま戦後憲法を守る象徴天皇に対する「元首化」を強める自民党改憲案をみると、明仁天皇の悲劇を感じる。矢部氏の本は、いろいろ考えさせられる。
      この本は、須田慎太郎氏の美しい写真が数多く掲載されていて楽しい。天皇の和歌も。例えば、サイパン島バンザイクリフの写真に和歌「あまたなる命失せし崖の下海深くして青く澄みたり」(小学館