野坂昭如『人称代名詞』

野坂昭如『人称代名詞』

作家・野坂昭如氏が亡くなった。私は『人称代名詞』が、小説として代表作だと思う。複雑な「私」と戦中・敗戦期の状況を、「俺」「お前」「彼」「「ぼく」「あなた」という人称で書かれていて、これまでもかと人称を変え、自分を見つめてゆく。「逆説の文学」で、次々と逆説化されて批評されていく。
三島由紀夫が演技的パフォーマー文学だとすれば、野坂氏は太宰治のように道化的であるかのようだが、三島に近い生真面目さがある。帝国日本の崩壊と、野坂の家族の崩壊が二重写しになる。なぜ野坂が家族に執着するのかは、始まりから家族は崩壊しており、「擬似家族」を求め続けたことにある。継母への近親相姦的欲望も「砂絵呪縛後日怪談」に書かれてある。
有名な『火垂の墓』の妹もモデルは、養女の妹だし、野坂の実母は実父の女遊びで、早くなくなり養父母に育てられる。
野坂の文体の饒舌とスピード感は「戯作的」であり、三島の「理性的」な透徹した文体とは逆で、坂口安吾石川淳、太宰に近い。この小説の冒頭の文体。
「俺は小説家、夭折のさだめを永らえて、曲折の綾は、筆先三寸小手先の、鶏口になりかねて写す銃後の営み、さては闇市焼跡やけのやんぱち、諸人だまくらして、一炊の夢を焦土にかけめぐらせ、饒舌家、剽窃家、調節家、小説か雑文か、(後略)」という文体でもわかる。養父の爆死、養母の火傷死、生き残った祖母の介護の苦難ということを、戯作調で饒舌な語り口で書くしかない。
評論家・秋山駿氏がいうように、野坂文学は「批評戯作文学」なのだ。この『人称代名詞』でも、「俺」でアメリカ占領軍と英語通訳などの諷刺や、「あなた」で戦中・戦後の昭和天皇という「あなた」と、少年期の性的オナニーとの関わりを書いている。三島には天皇は「神」かもしれないが、野坂には「ナルシズム」の象徴に過ぎなかった。
秋山氏が野坂は、大衆社会の演技者と見られることに対して、実は「内向の世代」の魁だったというのは、頷ける。(講談社文芸文庫