マンケル『殺人者の顔』

ヘニング・マンケル『殺人者の顔』

     かつて故・作家の小田実は、私にミステリは社会学よりも、その社会の病巣を良く現らわしていると語ったことがある。この北欧警察小説を読み、それを実感した。いまならカルチュラル・スタディズの格好の題材になる。
     スウェーデン南部スコーネ地方の老農夫夫婦の惨殺事件の謎を、中年刑事ヴァランダーが、悪戦苦闘して解いていく警察小説である。この小説は1991年に書かれているが、現在のEUの問題を先取りしていると思う。
     私は1992年に『民族問題とは何か』(朝日新聞社刊)を書いた。そこでヨーロッパの場合として、「多民族共同体に向かって」と書きこう述べた。国家を超えたヨーロッパ共同体と、エスニック・リバイバルバスクなど)、地域=民族主義カタルーニャスコットランド、ベルギーワロンなど)、それに非ヨーロッパの移民・難民労働者の定住化により、超国家の中に「個別国家・地域民族・移民」の三者鼎立により、アメリカのような「合衆国」になるのではと見た。しかしイスラム移民の大量移動や、極右組織の台頭などは触れていない。分析は甘かった。
    マンケル氏のこのミステリでは、スェーデンの南部の農村地帯にすでに、アフリカの移民逗留所が多くあり、殺人犯が外国人と風評が流れると、放火されたり、ソマリア移民が散弾銃で殺される。ここにも極右のアメリカのキュー・クラクス・クランがいると、刑事はいう。
    高齢化し過疎化した農村地帯で、小金をためていた老夫婦が、銀行で大金を降ろしたのを目撃した中欧からの不法滞在者に見られたところから、ミステリになっていく。日本では高齢者狙いの俺オレ詐欺のようだ。
    だが、このミステリはヘイトスピーチや、移民排斥を主張しているのではない。逆に極右の犯罪者を逮捕する方向に行く。勿論この元警官を含む極右犯人は、老夫婦殺人犯でない。
    ヴァランダー刑事は、福祉国家といわれるこの国で、妻には離婚を申し渡され家を出て行ってしまうし、一人娘も黒人の恋人と去っていく。刑事の高齢の父は認知症がはじまっており、「おひとりさま」の刑事は、介護施設にいれたり、ヘルパーを雇い在宅で生活できるようにするなど苦闘する。
   アクションもあるが、やはりいまのヨーロッパの問題が詰め込まれている。勿論エンターメントとしても抜群に面白い。「第三次民族移動の時代」に(第一次ローマ末期、第二次アフリカからの奴隷輸出)、はたして「ヨーロッパ合衆国」は成立するのだろうか。葛藤は続く。(創元推理文庫、柳沢由美子)