小林秀雄・岡潔『人間の建設』

小林秀雄岡潔『人間の建設』

      現代ネット時代は、知識は「検索」でいくらでも得られる。知識の情報化も進む。知の効率化・功利化が、反知性主義を生み出す基盤になる。大学でも、文科省は人文系の学部の再編をいう。予算・教員を減らそうとする。戦時下では、文学部が無用として廃止された歴史がある。
      この本は、1965年というほぼ50年前に、批評家・小林秀雄と、数学者・岡潔が学問・芸術文化を語り合ったもので、コピペなど知の劣化を憂い、いかに新しき文化を生み出す「人間の建設」を行うかを論じ合う。「知の達人」同士の丁々発止のやりとりが、プラトンの対話編のようで面白い。
     「知」という厳密な論理の基盤にある人間の、「情緒」や「直観」さらに「情熱」を二人とも重視している。岡はいう。
「だから、各数学者の感情の満足ということなしには、数学は存在しない。知性のなかだけで厳然として存在する数学は、考えることはできるかもしれませんが、やる気になれない。こんな二つの仮定をともにゆるした数学は、普通人にはやる気がしない。だから感情ぬきでは、学問といえども成立しえない。」
    「創造性」のみなもととして「情緒」を重んじ、情緒の「かたち」化を文化とする。岡の見方は「知情意」の統合といってしまえば簡単だか、現代の「知の情報化」時代には再考すべき意見である。
    科学的知性の限界を、人間それ自体と人生の無知から考えるのは、小林も同じである。小林は、時間論でアインシュタインベルグソンの対立を引き合いに出し、「自分が生きている時間」が根源にあると論じる。小林は「広大な記憶」という「想起」が、人間の「知」の根源にあるとかんがえている。合理主義と「直観」による非合理主義の統合が、本当の知識を生む。
    私は、ヒューマニズムに基ずく「人文主義」的な知の営みは、現代においても重要な教育も核だと思う。(新潮文庫)