アレクシエービッチ『チェルノブイリの祈り』

アレクシエービッチ『チェルノブイリの祈り』

      20世紀史は、アウシュビッツ以後とチェルノブイリ以後として語られる。ヒロシマナガサキ以後とも。2015年ノーベル文学賞受賞のアレクシエービッチが、原発事故以後10年近くかけ、原発事故被災地で、丹念な取材で、「チェルノブイリ人」の証言、告白、心も記録を描いたドキュメンタリー文学の傑作だ。
      「チェルノブイリ第三次世界大戦である」という彼女は、人間や人間の本質に何がおき、国家がいかに恥知らずかを、個人の尊厳という視点から、記憶として残そうとしている。読んでいると、興奮してくる見事さである。
      「孤独な人間の声」として冒頭と最後に二人の、夫をなくした妻の証言がある。放射能を浴びて数日後、数年後に悲惨な死をとげる夫にたいする妻の「この間まで幸せでした」という愛の叫びは、鳥肌が立つ文章である
      原発火事で出動した消防士の妻でも、電線作業員で修繕工事にたずさわった妻も、その放射能汚染による悲惨な死に、妊娠中でも危険を警告されても付き添うのだ。いかに夫を愛していたかが綿々と語られ、夫の尊厳を訴え続けている。愛は放射能よりも強い。
      国家官僚、軍人、党組織、科学者たちが、いかに原発事故を隠蔽し、ただ核廃棄物を埋め、犬猫など動物を殺していくかも証言されている。疎開させられ、チェルノブイリから来たため、差別される。汚染地にいくら警告を受けても、とどまり続けている老婆の証言も迫力が有る。
      目にも見えず、経験もなく、永久に近い年月も汚染が続く放射能の知識も十分ない住民が、パニックをおこすというので情報統制される姿も、描かれている。子どもたちの証言も、大人が思う以上に、「死」について気づいており、従容として甲状腺がんや、白血病を発病していく。それを何も出来ず見守る親たち。
      アレクシエービッチの文学には、トルストイの強いヒューマニズムが流れている。アンチ・キリストは何かもわかってくる。凄い本だ。(岩波現代文庫、松本妙子訳)