森田真生『数学する身体』

森田真生『数学する身体』

      30歳という若い数学者・森田氏の数学論であり、面白い。数学の歴史を辿りながら、数学する身体から考えていく。さらに、「数学する心」にまで入り込んでいくから、魅力的である。
      森田氏は述べている。「数える」という行為から始まり、まるで身体から漏れ出すように数学的思考は広がり、古代ギリシアが編み出した論証数学、近代西欧で発見された記号と計算の威力、素学理論の全体を記号操作の体系に写し取ろうとしたヒルベルトまでの数学は、コンピュータから人工知能に至ろうとしている。
     その数学の歴史を、森田氏は数式を一つも使わず、本質を述べていくから、わかりやすい。森田氏は「計算する機械」の行き着く先の数学者として、英国の数学者チュ−リングを重視している。チュ−リングの話は、生涯までたどり、その天才的短い一生を炙り出している。最後にチューリングが身体性に行き着き、神経系のみならず、感覚器官も備えた学習し成長する「考える機械」に着目した。
     森田氏が重視する数学者は、もう一人いる。岡潔(1901−1978年)である。数学にとって身体とは何かを考えていた森田氏は、抽象化し記号化した現代数学の対極にある岡潔に惚れ込む。岡潔は数学の中心にあるのは「情緒」だとし、さらに森田氏は「2」という数字さえ主観を排除された「2」は存在しないといい、あらゆる数学的対象は「風景」の中に立ち現れるともいう。
     岡潔の生涯も凄い。「多度変数解析関数論」を書いた岡は。数学が形式化・抽象化に行きすぎ、実感と直感の世界から遊離していくのに批判し、身体性と「心」を基盤とした環境世界での数学を主張したのだ。晩年芭蕉俳諧に、自己探究の数学の心を見ていたという。
    ヒルベルトやブルバギのような現代数学に対して、若い森田氏が岡潔の継承を問うているのは重要な考え方だと思う。(新潮社)