ミシェル・セール『世界戦争』

ミシェル・セール『世界戦争』
フランスの哲学者・セール氏は1930年生まれだから、世界大戦など戦争を経験している。海軍兵学校から海軍で兵役につき。高等師範学校を卒業した異色の思想家である。だから戦争論や戦争史を期待して読むとまったく見当はずれになる。セール氏のいう世界戦争とは、人類同士の戦争と、人類と「世界」(地球・自然世界)との三者の戦争を含んでいる。
   人類は地球・自然世界に寄生しながら、それを略奪し自然破壊をおこなってきた。いまや自然がそれに反抗し戦争状態が生じてきている。気候変動始め、それに動因がある災害が今後増加するし、自然災害も勢いずいてくるだろう。セール氏は「真の世界戦争」といっている。
   人間無限で自然有限という状況に対して、自然のしかける「世界戦争」に。本当の「自然契約」を作り出し、人類の寄生・略奪から共生に改変していくかが、21世紀の課題になる。
      日本をみても、戦後70年戦死者はいないとしても、自然災害や自然破壊の公害の死者は、膨大になる。国民の安全・平和を守る防衛権は、いまや「世界戦争」に対してではないのかと、セール氏の本を読みながらおもう。自衛隊の地球防衛隊への改変が必要だ。さらにテロ防衛隊にも。
セール氏は、人間同士の戦争論を「戦争からテロリズムへ」という視点で書いている。セール氏の見方は、人類の戦争は社会契約のルール(法)の上に則った合法性によって成り立っていたという。そのルールが破綻したとき「戦争の終焉」になり、テロリズムという無法の万人の万人の殺し合いになるという。
セール氏の考えではフランス革命の恐怖政治がテロの始原であり、戦争は合法的暴力の上に成り立つ。ルールもなく審判も存在しない無法は、暴力の蔓延というテロリズムになる。セール氏の見方は、逆説的だと思う。テロリズムから法のある戦争へという。
だが国家テロもあるだろう。ナチ国家のユダヤ人虐殺はテロだし、「戦争」にともなう南京事件のような無差別大虐殺も、テロだろう。広島・長崎の原爆投下も「法」なき国家テロということになる。核兵器の出現による「戦争の終焉」が、テロリズム時代を招きだした。
     社会契約による「法の支配」は、果たして世界で持続するのか。テロの解決は絶滅作戦しかないのか、おおきな苦悩がいまある。(法政大学出版局秋枝茂夫訳)