姜尚中『悪の力』

姜尚中『悪の力』

姜氏は、現代社会における「悪意に満ちた社会」を考えていく。川崎市中一男子殺害事件、名古屋大女子学生殺人。傷害事件からシステム悪としての企業悪、さらにナチ・ドイツのホロコーストイスラム国のテロまで「悪」として捉えていく。 果たして個人の中の悪から、組織悪、さらに国家悪まで普遍性があるのか。姜氏は、悪の普遍性を考える。悪の培養基は、資本主義にあるとまで言い切る
姜氏は、悪を究明するのに、聖書(「ヨブ記」など)や、ドストエフスキー漱石ミルトン、ゴールディンググレアム・グリーンの小説作品から「悪」とは何かを追求していく。人間の内面の悪と、資本主義という欲望体系の経済社会、匿名の組織悪の貫通性が、姜氏の本の特徴である。
姜氏は、「悪」を自分の存在自体が空虚で不安な虚無感を、破壊的衝動による「達成感」に求めるという。身体感の欠落が、他者の身体を物質としてしかみられず、「なんでもオーケー」という意味の自己増殖を招くともいう。
身体は生きているという欠落感からなり、自己空虚が自己嫌悪になり、他者とのつながりに不信をもち、社会を嫌悪し破壊しようとする。姜氏はそうした欠損して十全でない状況から、「悪」を「病」と述べている。
自分が世界の一部になれないという絶望感、憎悪、拒絶感が、自己しか信じられないエゴの営利機関である資本主義からうまれるというのが、姜氏の見方である。かつて姜氏も研究していたマックス・ウエバーのプロテスタンティズムの自己禁欲、節約、勤勉、労働倫理の崩壊が、金融資本と格差を増殖させ、「悪」の培養基になるというのだ。
「悪」は空っぽの心の中に宿る「病」だという姜氏は、当然に「自らを愛し、自らをこの世界の、この社会の一部とみなし、他者を愛し繋がる」ことが「悪」にならないことだということになる。こいつだけは許せないという憎悪は「誰かと繋がりたい」という叫びだと述べている。(集英社新書)