ピンチョン『競売ナンバー49の叫び』

トマス・ピンチョン『競売ナンバー49の叫び』

      現代アメリカの作家・ピンチョンの小説は、小説の混沌性を特徴としている。「メタフィクション」ともいわれるが、私はその雑多・混沌の裏には、アメリカ社会に対する論理一貫性のある認識があるように思う。
      この小説でも、1960年代のアメリカ西海岸を舞台に当時の社会現象を多く取り込こんでいる。死んだ大富豪の遺言管理人に突然に指定された28歳の主婦(富豪の元愛人)が、その財産管理執行調査のため、サンフランシスコなどを富豪の権力網を廻ることにより、謎にまきこまれ、アメリカの裏社会の探求物語になっていく。
      日常性に囚われた主婦が、この「旅」で自己探求をしていく物語にも読める。だがそこには開放感が感じられない。富豪の作り出した権力構図に絡め採られ、迷路のような状態に陥っていく。謎を解こうとして謎に絡め採られる。
      その謎は、アメリカの反社会の裏側がある。ピンチョンは連邦政府の郵便の国家統制に対して、私的な暗号化された郵便と偽造切手をもってくる。コミュニケーションの統制(いまなら盗聴や通信の傍受)に対する、コミュニケーションの自由の地下郵便を対置する。そこに陰謀論が歴史的な物語(本当なのかも疑問)として絡む。デリダの哲学(郵便。誤配など)を先取りしている。
      またアメリカの権力における「パラノイア性」を重んじている。アメリカ文学者・巽孝之氏は解説で「パラノイド・スタイルの更新」と述べている。訳者の志村正雄氏も「解注」で、1963年の歴史家ホーフスタッター『アメリカ政治におけるパラノイド・スタイル』から、「迫害されているという、そして自分は偉大であるという組織化された妄想」が、ピンチョンのこの小説では引用されているという
      果たしてこの主婦の探求は「幻覚」なのか「陰謀」なのか。ピンチョンの小説は宙吊りで終わっている。(ちくま文庫、志村正雄訳)