五十嵐太郎『忘却しない建築』

五十嵐太郎『忘却しない建築』

      建築史の五十嵐氏は、いまだ東日本大震災は終わっていないという立場で、記憶の風化と、スクラップ・アンド・ビルドに抗う視点で、瓦礫(「被災物」)を抱きしめて、いかに復興を考えるかを、この本で描いている。
     土地を奪い、建築を廃墟にし、残酷なカオスにした大震災に対し、五十嵐氏は記憶装置としての街を重視している。建築による記憶の継承を重んじている。「震災遺構」が、被災者の感情や行政の復興計画で次々と消えていく。だが果たしてそれでいいのかを五十嵐氏は問うている。「3・11展」を開催した五十嵐氏は、震災以後の建築家の動向もこの本で論じている。
     カタストロフをどう後世に伝えるかを、ニューヨークのグランド・ゼロや中国・四川大地震阪神淡路大震災の震災遺構を訪ねて論じている。興味深い。五十嵐氏は、震災のメモリアルはテーマパークしやすいが、生のモノと対話し記憶を引き出し忘却しないことが大事だという。地震津波は反復性があり、メモリアルの存在が防災につながり、その施設は避難場所にもなる。思想家・東浩紀氏らの「福島第一原発観光地計画」とも似かような発想だ。
    東日本大震災は建築家にも衝撃を与え、芸術的デザインを重んじる戦後建築と、「上からの大建築」のゼネコン建築という「社会から切り離された建築」への反省を与えた。建築家地域・現場のコミュニティとともに作る「関係性の建築」(リレーショナル建築)が重んじられてくる。それは伊藤豊雄氏の「みんなの家」という集会所建築などに見られる。アーキエイドという建築家集団も挙げられる。
もう一つは、仮設住宅などからの原初的な単純な建築の「原点」への模索である。素材もダンボールや竹、ログハウス、コンテナまで原初的だが、それにデザイン性を重視した建築家の坂茂氏がいる。坂氏は「紙の建築家」といわれるほど、紙管を使いログハウス的に建てているが、東日本大震災では女川町にコンテナの仮設住宅を建てた。
五十嵐氏は南相馬市仮設住宅集会所の基本設計もしているが、東京オリンピックが、震災復興の足を引っ張つていると述べている。(春秋社)