西寺郷太『プリンス論』

西寺郷太『プリンス論』

いま私は、プリンスの「アート・オフィシャル・エイジ」(2014年)を聞きながら、西寺氏の力作を読んでいる。あの衝撃的な「パープル・レイン」から、ちょうど30年後アルバム曲である。
「囚われた者達を解放するんだ。さあ、行こう」。「水の中には絶対にもどらない」、さらに、「自分の居場所に 自らの力で戻れる日まで」と歌う。プリンスのファルセット(裏声)が誘惑するように聞こえてくる。西寺氏は、プリンスの軌跡を「革命と絶頂」(1984年)「死と改名」(1994年)「改宗と復活」(2004年)「帰還と再生」(2014年)にわけて、論じている。
2015年グラミー賞プレゼンターとして登場したプリンスは、人種の壁を乗り越え、現状打破に奮闘する若き黒人アーティストに「さらなる自由を」とエールを送った。高校を卒業した丸腰の黒人青年が、白人警官に射殺されたミズーリ州ファーガソン事件、ニョーヨーク市で黒人男性が警官に飛び掛れ窒息死したエリック。ガーナー事件が14年におきたからだ。グラミー賞の三ヵ月後にメリーランド州ボルティモアでは、再び白人警官の黒人暴行事件が起こり暴徒化に対し、非常事態宣言が出る。
西寺氏は、プリンスが急遽コンサートをしたが、ゆるやかでしなやかな平和的解決を歌ったと紹介している。「誰が血にまみれる日を見たいのか?我々は涙や人々の死に疲れている さあ、すべての武器を捨てよう」
プリンスはミネアポリスという黒人人口が3%という少数の地に生まれ育った。白人芸術から強い影響をうけたプリンスは黒人・白人の両義性を持ち、そうした混淆性は、ロック・ファンク・R&B、ジャズのジャンル横断、中立的楽器シンセサイザーへの偏愛、テンポの高速と低速の混交、単独多重録音、性差のなさなどに現れていると西寺氏は見ている。
西寺氏の本が面白いのは、プリンスの生を辿ることが、80年代以降のポップミュージックの軌跡と絡めているからだ。同い年のマイケル・ジャクソンとの相違の分析は面白い。(新潮新書