カヴァン『氷』

 アンナ・カヴァン『氷』
     これだけ終末の世界を、超現実的に美的に描いた小説はないだろう。イギリスの作家カヴァン(1901―68年)は、カフカ的世界を描くが、より暴力的であり、終末の世界観が強い。
     気候変動が核戦争後に起こり、「氷の世界」として迫ってくる。氷の壁は、人間を浸食し、包囲し捕らえていく。どこに逃げようと、その浸食は迫る。だが、人間は戦争をし、テロを行い、大量虐殺や難民が流動化し、軍人権力は残酷である。滅亡が迫るのに。こういうと、SF小説だと思うがそうではない。
     ある男が、拉致されたらしい幼なじみの「少女」を発見して連れ帰ろうとする冒険物語である。少女は幼少期から、母から抑圧された。それが「長官」という某国の権力的軍人に拉致され、愛人にされる。なにか北朝鮮拉致を予言しているようだ。さらに、難民が、国外脱出しようとして、海で溺れ死んでいく場面も、いまのシリア難民を彷彿とさせる。1967年出版の本なのに。
    この「長官」な何者で、少女を救出しようとする男は何者なのか何の説明もない。カフカ『城』の最高官僚とも違い、二人とも暴力的だ。両者は裏表にもなっている。少女も、地球も、国家も「浸食」されていく。少女は繊細で、抑圧され、果たしてこの男と「愛」で繋がっているかも、わからない。終末の氷の世界で、はたして「愛」が生まれるのかもわからない。
    訳文も美しい。「少女は絶望的に四方を見まわした。どこも完全に巨大な氷の壁に閉ざされている。眼をくらませる光の爆発に氷は流体にとなり、壁全体がとどまることのない液体の動きを見せて刻々変容し、海洋はどこも巨大な雪崩を引き起こしながら進んでいく氷の奔流が、破滅を運命づけられた世界の隅々にまであふれ広がっていく。」(ちくま文庫山田和子訳)