村井良介『戦国大名論』

村井良介『戦国大名論』

    この本を読んでいるとき、安保関連法案が参院特別委員会で強行採決された。村井氏は、デリダベンヤミンの「法措定的暴力」を、基礎を持たない暴力と位置づけ、法の根源には無根拠の暴力があるという方法論を使い、戦国大名の軍事力の権力と、秩序=法の措定の関連を、生き生きと描き出していた。暴力と法は不可分という史観で、戦国大名の権力を論じていて面白い。
    村井氏の視点が面白いのは、恣意的暴力支配=中世と法的機構的支配=近世や、主従制的・私的・人格的支配と統治的・領域的・公的支配というこれまでの戦国大名をみる二元論を乗り越えようとしている点である。江戸期の大名とは相違する戦国大名の権力構造の特異性が、村井氏の本では浮かび上がってくる。
    毛利氏や北条氏などの史料をふんだんに使って、近世とは違う戦国大名の独自の構造に迫っている。村井氏は。戦国大名の「家中」と「領」を中核としてその構造に迫る。大名の配下にありながら、同じように家中と領をもつ在地の自立した「戦国領主」が存在し、その「入れ子構造」のように大名が存立してくる。その戦国領主を暴力で包摂するか、連合していくのかという権力のゲームがある。
    戦国大名と戦国領主の関係を、村井氏は毛利元就の連合の「傘連判契状」や、三本の矢で有名な「三子教訓状」で説明していてわかりやすい。1980年代から日本史学では、戦国の暴力的支配よりも、法や制度などの公的正当性支配に研究の重点が置かれてきた。被支配層の同意という公共的側面である。
   室町期の守護大名という権威体論や、「自力の村」から「豊臣平和令」にいく近世への移行論である。だが、村井氏は、権力を暴力か「法」設立かに二分するのではなく、諸関係の網の目の複雑な「構成的支配」という概念で、戦国大名の権力の流動と固定の関係でとらえようとしている。新しい視点が、歴史を活性化させている。(講談社選書・メチェ)