マクロイ『暗い鏡の中に』

ヘレン・マクロイ『暗い鏡の中に』

   マクロイのミステリを読むと、二つのことを感じる。ひとつは自我のアイデンティテイの揺らぎである。もうひとつは、科学的合理性と超常現象などの幻想性の対比である。このミステリは、それが明確に現れている。
   多重人格をあつかった『あなたは誰』にたいし、このミステリでは、ドッペルゲンガー(分身現象)をテーマにしている。コネチカット州の女子学院に勤務する若き女美術教師が、校長から突然解雇される。前の勤務先の女子学院でも同じことがあった。女生徒や同僚教師、校長まで分身を見てしまい、集団的ヒステリーを起こすという理由である。魔女狩りを連想させる。
   その女教師は、自己の同一性に疑問をもち、不安に駆られる。その分身騒ぎが、二つの殺人事件を引き起こすことになる。マクロイは、ここで精神科医。ウイリング博士を登場させ、謎を解明させる。超常現象と見られた幻想怪奇は、科学的合理性によって、ある犯人を炙り出して行く。
   女教師が、30歳になったら母親から相続することになっている高価な宝石類の相続問題が絡んでくる。分身、テレパシーという超常現象を信じる人々と、精神科医の科学性の論理的解明の対峙にもなる。殺人も、自己のアイデンティテイ不安をうまくつかった知能犯罪である。
   あくまでも幻想怪奇にこだわり利用しようとする「犯人」と、精神科医の最後の対決は、迫力がある。だが、マクロイは物的証拠が少ないと言い張る「犯人」にたいし、博士の解明が正しいかどうかは、宙刷りにしたまま、このミステリを終わっている。科学で解明できない人間の心霊現象に対する懐疑主義が、ほのかに感じられる結末である。(創元推理文庫駒月雅子訳)