マクロイ『あなたは誰?』

ヘレン・マクロイ『あなたは誰?』

   マクロイ(1904―1994年)は、アメリカのミステリ作家で、サスペンスと本格推理をない交ぜにした傑作を書いた。この本は1942年の初期作品である。
   読み出すと謎が面白く一気に読める。構成も緻密だが、同時にサスペンスも次第に盛り上がってくる。アメリカミステリで、マクロイは初めて精神医学者を探偵として登場させたといわれている。ハードボイルドは行動によって、人間の存在・性格を見いだしていくが、マクロイの精神科医探偵は、人間の深層心理の謎に深く関わり謎を解いていく。
   多重人格がこの本の中核にある。英米ミステリには、スチーブンソン『ジキルとハイド』以来、二重・多重人格ものは、ロバート・ブロック『サイコ』、さらにダニエル・キイス『ビリー・ミリガンと23の棺』など多くあるが、マクロイはその先駆けである。
   このミステリもそうした人間の精神の深層が、謎の中核にはなっているが、殺人事件の謎は、それに関わらず本格推理小説仕立てになっていて、それに寄りかかっているわけでない。
   誰が犯人かと、だれが多重人格なのかが、二重の構造になっていて、サスペンスを高める。若きクラブ歌手が、医者志望の医科大学院生と婚約し、ワシントン郊外の男の実家に行く前日「行くな」という警告電話がかかってくるところから、このミステリ始まる。
   だれがなんのために。実家に行くと、母の女流小説家、隣人の上院議員夫妻、その子、姪の若き女性などがパーティに集まる。歌手の寝室は荒らされ、再び電話がかかる。婚約者の母のいとこが突然現れ、殺される。何故なのか。その謎を精神科医ウイリング博士が解いていく。
   普段の日常生活は正常であり、自分のなかの異人格の行動の記憶も消されていて、自分でも意識に上ってこない。それが怖い。犯罪には、人格分裂の要素が強い。抑圧され、怨念化したものが、表れてくる、だが、この本の怖さは、正常な人間が自分の欲望実現のために、殺人を犯していくことにある。(ちくま文庫、渕上痩平訳)