ナンシー『思考の取引』

ジャン=リュック・ナンシー『思考の取引』

    現代フランスの哲学者ナンシー氏の書物論、読書論である。だが、私には「書物の詩学」のように思える。見事な翻訳であり、詩を読むようだ。例えばこういう文章だ。書物の神秘主義
    「一冊の書物は、流星だ。散り散りになって、幾千の隕石と化す流星だ。その隕石のあとでない流れに挑発され、あらたな書物たちが衝突し、再会し、にわかに凝固し、未刊の形質たちは思い思いの線を描き、増補版や改訂版、訂正版といった諸々の版が繰り出されてゆくだろう。そう、そこに巻き起こるのだ。広大無辺な星の流れが」
    ナンシー氏は、書物を自己完結した「イデア」と見ている。だから書物は「手引き」や「概論」、声明文、アジびら、政治パンフなど「情報」とは違うという。書物は、伝達のための媒質でなく、無媒介に、それ自体で自らを相手におのれを伝達し、思考を取引するものだとなる。書物は一個の対話だというプラトン的な書物論である。「イデア」「形質」といった言葉が多く出てくる。
    書物を読むということは、終わりがない永劫回帰の反復だとナンシー氏は述べている。テクストを解釈ないし解読するのは、字句に意味を立ち戻らせるのでなく、暗号を、字句の暗号化のすべてを組み替えることであるという。語義を封筒から取り出すのでなく、広げた封筒を、おのれ自身の上に折り畳み、内にむかわせてやまぬ行為となる、
    「かくて書物は、開いては閉じ、この交替に内在する出会いと別れのうちに、書物の本性を受けた存在が、かりそめの、稲妻のごとみ真理が住まうのだ」。開かれ閉じられた「未刊の書物」を読むということは、書物の形質をあらたに描き直し、刷り直し、編集し直すことなのだ。
    書店とは、ナンシー氏によれば、書物のイデアから立ち昇る香りや味を予感する、香水屋であり、焼肉屋であり、パン屋である香りと味の調剤室だというのは、フランス的センスである。
    商業主義・大衆消費主義の書物商品の氾濫と電子書籍の時代に、ナンシー氏の書物論は、古典的かもしれないが、私は多く同感した。(岩波書店、西宮かおり訳)