鎌田繫『イスラームの深層』

鎌田繫『イスラームの深層』

    イスラームにおける「神」とは何かを、イスラーム神秘思想から考え抜いたのがイスラーム学者鎌田氏のこの本である。深遠な宗教思想について述べているから難しいが、文章は平易であり、じっくりと読むと理解できる。
    日本ではイスラームの神秘思想をふかめたのは、井筒俊彦氏だった。この本で鎌田氏は「唯一絶対の神」から「「遍在する神」へという神秘哲学(イブン・アラビーやスフラワルディー、モッラー・サドラーなど)の説明で、井筒氏の考えを紹介している。
    鎌田氏は神秘主義を、神仏などの絶対者、真の実在、最高の存在と「一体化」し、その一体性の経験や洞察を基礎にする哲学という。私が興味深く思ったのは、キリスト教神秘主義が、超越的父なる神よりも地上におりたイエスという神的人間に一体化する「愛の神秘主義」だが、イスラームでは、地上に神が人間的に現れないから神の言葉クルアーンコーラン)という言葉を媒介にして、超越的絶対の一者存在と一体化する包括的神秘主義になるという指摘である。
その神秘哲学には「偏在する神」との一体化が生じる。しかしそれは、大乗仏教の「一切衆生悉有仏性」に近いが、「汎神論」ではないという。
    鎌田氏は,スフワルディーの照明哲学の一者から光が流出してくるという新プラトン哲学の影響を指摘している。またイブン・アラビーの主客未分の絶対的実在の顕現が「神」だから、被造物である「自然」との一体化という汎神論とは違う。モッラー・サドラーの「存在は本質に先立つ」哲学は、私にはサルトルの実存哲学を思わせる。
   一なる絶対者、あるいは存在そのもの、光のなかの光と呼ぶべきものが偏在し、それが足がかりを得て何らかの形ととり、この世界の多様な存在になるという「存在の形而上学」は、プラトンアリストテレスなどギリシア哲学と親和性をもつのではないか。
直覚による神の実在性の把握と一体化。無限定な存在の多様な自己顕現もそうだ。それは、真言宗の神秘哲学にも通じてくるように思える。(NHKブックス)