植島啓司『伊勢神宮とは何か』

植島啓司伊勢神宮とは何か』

 年間1千万人が参拝するという伊勢神宮を、宗教人類学者・植島氏が伊勢志摩をフィールドワークした伊勢神宮論であり、面白い。伊勢神宮は内宮外宮だけでなく、別宮、末社など125社があるが、その周辺を植島氏が歩き回り、伊勢の謎を解いていく。
  植島氏の本が面白いのは、7世紀に大和朝廷がアマテラスなどを祀る前の「原伊勢」を、周辺の別宮などを歩き、土着神・産土神サルタヒコ、アメノウズメがいまどう祀られているかの痕跡を探したことである。
      「原伊勢」は、海と川の漁撈信仰からなる。そのため、植島氏は旧五十鈴川河口から遡り、二見與玉神社、伊雑宮の近辺にある磯部神社、、鸚鵡岩、千田寺跡、左美長神社を探索している。また外宮に沿って流れる宮川を遡り、上流の瀧原宮多岐原神社、潮岩、なども訪れている。
   與玉神はサルタヒコといわれ、與玉の森を訪ね、内宮の御垣根内に與玉神の神座がある。サルタヒコは海と河川と結びつきついた産土神であり、その縁故の神社はすばらしいとこにあり、太古からその地の人々の信仰を集めていたことがわかるという。
   伊雑宮瀧原宮という周辺から伊勢神宮を見ていくと、海人族の磯部氏が、的矢湾というリアス式海岸から、河川を遡り伊勢神宮に到ったということがわかる。植島氏は的矢湾クルーズをおこない、海からの道を探っている。伊雑宮は4世紀にさかのぼるという大胆な仮説もある。
   植島氏は縄文人は海洋民族であり、漁撈技術に優れ、海の民、海人、磯部と呼ばれた人であり、宗教儀礼もそれにかかわる。折口信夫谷川健一民俗学者の見方とも親近性が出てくる。植島氏が磯部神社を重視するのも良くわかる。伊勢神宮では、海産物を「御ニエ」として指定していたのも頷ける。伊勢志摩は、大和朝廷時代は海遊都市という「テーマパーク」だったのかもしれない。
       この本では、さらに「式年遷宮」とはなにかについてや、心御柱と床下の秘儀、御船代論、櫻井治男皇学館大学特別教授との対談も含まれ、興味深い考察が数多く見られる。カラー写真も多く掲載されていて、美しい。(集英社新書、写真・松原豊)