納富信留『プラトンとの哲学』

納富信留プラトンとの哲学』
   現代思想ではプラトン思想に批判が強い。ニーチェは、生の哲学により、強者のソフィスト的語り口でプラトンの価値転倒を批判する。カール・ポパーは、「プラトンの呪縛」として、全体主義の国家論の先駆けと批判する。果たしてそうなのか。
   納富氏はプラトン研究者として、多くの本を書いてきた。この本も充実したプラトン論であり、日本から発信するプラトンを目指している。この本を読んだ感想を幾つか書いてみよう。
(A) 納富氏は、プラトンの対話編の在り方を重視している。それは三重の入れ子構造になっており、プラトンが不在のソクラテスと対話し、さらにソクラテスが同時代人と多声音楽のように対話する現場が出現し、それを読む私たち読者が、答えられない哲学を、想起して対話していく。この本の題名は「プラトンとの」哲学になっている。共同作業で読者の内的対話を誘い出す。それにより「魂の配慮」を考えるようになっている。
(B) イデア論が面白い。現代哲学では、イデアなど超越的・抽象存在は必要ないとされる。そのため経験的現実主義が跋扈する。プラトンは「言葉のなかの探求」を重視し、美・善・正義などのイデアを「基礎定立」として置くことが、現実に流されない起点となる。現実世界から魂が離在するためには「イデア」探求が必要である。それが「叡智」である。イデアという超越的存在が「理想」を生み出す。現代社会はイデア不在な社会だろう。理想は「想像力」によって産みだされる。
(C) 「ある」存在論は、現代哲学でハイデッカーにより深められた。「ある」と「ない」(無)や、存在が生成される「場」、さらに「像と影」、永遠と無限の宇宙論なども、納富氏は、わかりやすく説明してくれる。だが私には難しかった。
(D) 納富氏はいう。「プラトンの哲学は、普遍的なイデアを提案した超越的思想と見られてきました。しかし、永遠の相に視点をおきながら、まさに私たちが生きている現場を見ていく彼の哲学は、現実を捉える鋭い目を可能にし、それに支えられています。」現実に埋没せず、在るべき理想を求めていく強烈な愛の哲学があれば、冷徹な現実に向かわせることが出来る。(岩波新書