原民喜『ガリバー旅行記』

原民喜を読む(3)
原民喜ガリバー旅行記

     原は自殺する1年前から、次世代の子供に遺書として『ガリバー旅行記』を翻訳していた。広島被爆から5年。慶応大で英文学を学んで、英語教師をしていたから翻訳はお手の物だったろう。今回、平井正穂『ガリヴァー旅行記』(岩波文庫)と参照読んだが、子供向けにやさしく書かれていて、冗長な詳しい部分は割愛されていたが、原作には忠実である。原にはいくつかの創作童話集もある。
   スイィフトには、人間に対する戦慄すべき呪詛があるが、静かに人間世界にわかれていった原のガリヴァーには、広島被爆以後の人間同士が傷つけあう世界から、新しい人間に生まれ変わるユートピアの願いが、強くにじみ出ていると思う。
   馬の国の馬(フウイヌム)の、友情と仁愛、戦争のない平和世界が、美しく描かれている。その馬の国にいる人間(ヤーフ)の下劣さや醜さ、臭さ、所有欲の強さ、さらにお互い同士争いあう邪悪さに、広島原爆投下の人間の「悪」が凝集して描かれている。馬(フウイヌム)は「理性をみがけ、理性によっておこなえ」の世界であり、大量虐殺に嫌悪感をガリヴァーにつたえるのである。
   小人国(リリパット)でも、隣国同士で激烈な戦争状態であり、国内では。政治闘争が党派に別れ争われている。スウィフトは強い諷刺で描く。原のガリバーでは、大人国(プロプディング)では、小人になったガリヴァーをやさしく保護してくれる(乳母)が、愛をもって描かれている。
    解説で評論家の川西政明氏が、原作品では死んでいった母、姉、妻との共生の記憶が生き続け、死の記憶が深まれば、その生の記憶も透明に深まると述べているが、この少女に投影していたのかもしれない。
最後に原の「ガリヴーの歌」を引用しょう。
    「必死で逃げてゆくガリヴァにとって 巨大な雲は深紅に灼けただれ その雲の裂け目より 屍体はバラバラと転がり墜つ (略)されど後より後より迫ってくる ヤーフどもの哄笑と脅迫の爪 いかなればかくも生の恥辱に耐えて 生きながらえん と叫ばんとすれど その声は馬のいななきとなり悶絶す」(講談社文芸文庫