『原民喜戦後全小説』

原民喜を読む(2)
原民喜戦後全小説』

   原は、広島原爆の罹災を扱った小説『夏の花』で有名である。だが、この原の「戦後全小説」を読むと、原は散文詩人であり、自己の心象風景を綿密に書く作家だったと思う。死者や、家族や広島という故郷の追憶などは、生き生きと描かれている。
   東京という大都会に大学生として出てきて文学を志して、生活苦となかなか芽がでない状況で孤独の生活を送っていく。私は、原の作品を読むとリルケの「マルテの手記」を連想してしまう。都会を孤独に「歩く」場面が多く、そこに心象風景、特に死者への嘆きが描かれていく。『美しき死の岸に』は 内省的で人間関係がうまくいかないシャイな原が、結婚し妻の導きで生活を始めるが、妻は結核に罹り、終戦の1年前に死んでしまう。そこで故郷に帰り、原爆にあう。
   『美しき死の岸に』は、妻の看護から死、 妻との生活の追憶、死後の孤独な生活の心象風景が描かれていく。私も妻を亡くした身なので、呼んでいて涙が止まらなかった。戦争末期の「死が充満した時代」に、病死した妻の「鎮魂歌」が、広島被爆の大虐殺の死者の目撃に重なって、死者の嘆きが、原の小説の主題になる。
   心象風景を描く詩人・原は、広島市の兄の家での原爆被爆と、逃げ惑った悲惨な体験は、『夏の花』という即物的記録文学という異なった作風に変えてしまっている。心象風景さえ破壊するすさまじい被爆で死んでゆく悲惨な人々の姿は、綿密にリアルに描き出されていく。
   被爆前後の空襲におびえる市民たちの姿も忠実に記録されている。井伏鱒二『黒い雨』のように、日常生活のなかに原爆が、突然死の世界を作り出していったかがわかる。この「全小説」には『原爆以後』という括りで、敗戦後東京に出てきて、教師をしながら文学に取り組む原の孤独な生活が描かれている。原爆のトラウマを心にもち、食糧難と居場所のなさのなかで、放浪する生活苦が綿々と綴られていく。それが自殺につながる。
   こう読むと原の小説は、悲惨小説に見えるがそうではない。透明で美しい散文詩のような詩情が、原の文章にはあり、それが明るさになっている。やはり詩人なのだ。「死者よ、死者よ、僕を生の深みに沈めてくれるのは ああ、この生の深みより仰ぎ見るおんみたちの静けさ。」
   野蛮で凶暴な原爆に、ヒューマニズムの、かよわい「詩」が抵抗している。それが救いなのである。「地よ、つねに美しく感動に満ちあふれよ。明日僕は感動をもってそこを通りすぎるだろう。」(講談社文芸文庫