谷川俊太郎『詩に就いて』

谷川俊太郎『詩に就いて』
      谷川氏の最新の詩集だが、谷川氏の「詩学」になっている。日本語の詩という言葉には、言葉による「詩作品」と、言葉になっていない「詩情」とが混同されていると谷川氏はいう。
     「詩は常に無言で存在している/それに言葉を与えるのが人間
     小さな犬が/大きな人のうしろについて/ちょこちょこ歩いていく 朝陽が眩い」
     谷川氏は「待つ」を重んじる。「詩が言葉に紛れてしまった 言葉の群衆をかき分けて詩を探す」「待っているしかないと観念して 堅い椅子に背筋を伸ばして座っていると 山鳩が鳴いて日影が伸びてゆく」
     詩も人間の活動だから、詩以外のもろもろと無関係ではない。詩を生き生きさせるのは、言葉そのものであるが、無限の細部に恵まれたそのもろもろだと、谷川氏は述べている。
     「大きな物語の中に小さな物語が/入れ子になっているこの世/その隙間に詩は忍びこむ/日常の些事に紛れて」
     言葉になるはずのないものが、いつか言葉になる詩というものの不思議さを、この詩集では何回も詠っている。
     詩と散文の違いも、この詩集ではふれられている。「この詩で何が言いたいんですかと問われたから 何も言いたくないから詩を書くんだと答えてやった」「詩の妖精には言葉がない 詩の妖精は光速だ」
    谷川氏は、何も言いたいと思わない、「私はただ既知の言葉未知の言葉を 混ぜ合わせるだけだ 過去からと切れずに続いている言葉 まだ誰も気づいていない言葉が 冥界のどこかで待っている」と詠う。
   この詩集を読むと、谷川氏の詩の「宇宙感覚」と「リズム」が、どううまれてくるかがよくわかる。(思潮社