田中伸尚『いま、「靖国」を問う意味』

田中伸尚『いま、「靖国」を問う意味』
     安保法制が成立し、自衛隊が戦争行為に入ることになれば、国のための戦死者をどう追悼するかが、新たに問題になるだろう。新たな「靖国問題」が浮上する。 
     国家が「国のための尊い犠牲」(英霊)として、一括して追悼する靖国神社は、死者や遺族の追悼の自己決定権を奪うのではないのか。田中氏は『靖国の戦後史』(岩波新書)で、靖国の戦後の在り方を描いてきたが、戦争を放棄した国が、戦死者とどう向き合うのかという矛盾を、この本で正面から問うている。
     田中氏は、首相の参拝がなにをもたらしているのかを鋭く抉っている。その視点は、遺族の英霊として祭られる違和感や、合祀に対する反対を取り上げ、追悼を遺族の権利として考える自己決定権に、焦点を合わせていく。
     「靖国の檻」から、父や兄を解放したいという願いが、平和的生存権の権利主張となり、違憲訴訟も多く起こされている。国家が多様な追悼さえ侵して、加害者なのに「尊い犠牲」として死者も戦争のため収奪していく。政教分離も空文化する。
     「国のための死」の「尊い犠牲」という追悼観は、「国家宗教」観であり、戦争国家の考えであり、平和を祈念する無宗教の国立追悼施設の棚上げにつながる。
     田中氏は、1993年ベルリンにオープンしたドイツ国立戦争犠牲者追悼所を取り上げ、ここでも戦争の加害者と被害者の同列化や、アフガン海外派兵の戦死者の自他の戦死者の問題があると指摘している。1995年にできた沖縄戦死者の「平和の礎」は、国民国家を超えた追悼記憶と、平和の追悼施設になっている。田中氏は、戦死の賛美や国家の顕彰がない追悼施設として「靖国」と対比している。だがここでも、朝鮮、台湾など旧植民地人の問題があり、被害者と加害者の同列化の問題がある。
     国家による戦死者の追悼・顕彰は、戦争の土台であり国民意識の操作であるということを、この本は問うている。もし安保法制成立の時代になったら、私は,集団的自衛権発動に対して、自衛隊員を含む憲法9条に則とった「良心的兵役拒否」の権利の保障と、戦死者には追悼・慰霊の遺族の自己決定権の保障が必要であり、非宗教的国立追悼施設の新設も必要だと思う。(岩波書店岩波ブックレット