ホッファー『現代という時代の気質』

エリック・ホッファー『現代という時代の気質』

      1973年に出版されたのが、2015年文庫化された。ホッファーといえば、アメリカで正規の教育を受けず「沖仲仕の哲学者」といわれ、1964年にカリフォルニア大学教授にまでなった。『波止場日記』(みすず書房)は、よく読まれた。
      訳者の柄谷行人氏は文庫化の話があったとき、反知性主義のいま、ホッファー氏の知識人批判は意味がないと思ったが、反知性主義でなく知性によってしか権力に対抗できないと説き、沖仲仕に読書を薦めた港湾労働者のリーダーでもあったと述べている。
      オルテガやキエルケゴールの現代大衆社会批判は有名だが、私はなにか貴族的な精神を感じる。ホッファーは、現代は大衆の時代でなく、知識人エリートの時代だと、知識人批判を繰り広げている。ホッファーには『情熱的な精神状態』(平凡社)や『大衆運動』(紀伊国屋書店)という著作があるが、変化の時代に急進主義がでてくるという。
      この本でも「未成年の時代」という章では、歴史は、子供の不安、感受性、信じやすさ、フィクションの能力、残酷さ、独善をもった玩具に望みを託す大人によってつくられ、従う者を子供に変えると言っている。知識人は大衆に教えようとしがちだ。
      この本を読んでいると、いまの安倍政権の「急進主義」の精神が語られているように思えてくる。変化に保守的なのは貧困層であり、急進的なのは没落した富裕層から生じる。アベノミックス、集団的自衛権の安保法制などの急進主義は、政権交代を強いられた自民党の無為と自尊心の傷つきから生じ、アイデンティテイの不安から、自己自身からの逃避が「情熱的急進主義」に行く。自由を犠牲にしても不安を解消しようとする。
       革命は「変化」を生み出すのでなく、「変化」が革命を生み出す。集団的自衛権の心理は、中国や北朝鮮の軍備強化という「変化」への恐怖という子供的心理から、人間の自立性を奪っていくことにある。
       ホッファーの自然論も面白い。モンテーニュの『エッセイ』に影響を受けたためか、ホッファーは人間主義モラリスト)であり、「自然に帰れ」という思想を批判している。人間は、自然と闘い「人間化」してきたが、まだ自然の「非人間化」には敗北している。また人間の中にある「自然」の「非人間化」が、戦争や犯罪などを誘発するという考えは、たしかにモラリズムの思想だ。(ちくま学芸文庫柄谷行人訳)