冨原真弓ら編『トーヴェ・ヤンソン』

冨原真弓ら編『トーヴェ・ヤンソン

      ヤンソンといえば、フィンランドの芸術家で「ムーミン」を書いた作家である。冨原氏といえば、ムーミン9作品などの翻訳者・紹介者で、ドイツの児童文学者・ミヒャエル・エンデの訳者・子安美知子氏に匹敵する訳業であると思う。この本で、ヤンソンという芸術家の全貌が浮かび上がってくる。
      私は、ムーミンは西欧文学の特徴である「成長物語」だと思う。エンデはファンタジー的であり、形而上学的なのに対し、ヤンソンは北欧の自然と家族や人間社会という現実を根源に置いている。ヤンソンは、児童文学だけでなく、風刺画、純粋絵画、絵本、マンガ、小説、などマルチな芸術家なのだ。本人は画家だといっていたという。
      冨原氏によれば、15歳で学校を中退し、スゥエーデンの美術学校に行っているし、この本でも印象派的な絵や表現主義的さらに抽象画まで掲載されている。イタリアでフレスコ画も学び、壁画も残している。ムーミンの「トロールのふしぎな冬」で、フィンランドの冬の風土を、闇から光を彫りだすスクラッチボードの技法で描いている。
      冨原氏は、ヤンソンフィンランド母語フィン語でなく、言語少数派のスゥエーデン語でムーミンを書いたため、始めは純正フィン語者から、無視されていたという。ヤンソンが争いのない無国籍のムーミン谷という理想郷を作ったのは、この少数派だったことを挙げている。ヤンソンが始めは、ヒットラースターリンの風刺画を書いていたというのも頷ける。
      ヤンソンの両親も芸術家で、愛情と影響は大きかった。それはムーミンにも反映されている。特に母親への愛は強く、母の死とともにムーミン物語は終焉してしまうほどだ。母の死を予感して書いた『ムーミン谷の十一月』や、祖母と孫の交流を描いた小説『少女ソフィアの夏』(講談社)などは、母への尊敬と純愛を表すと冨原氏は指摘している。
      ムーミンは、ヤンソンの子供時代の幸せを取り戻すために書かれたのかもしれない。ムーミンの夏シリーズ『ムーミン谷の夏祭り』は特にそうだ。冬シリーズになると、思春期になるムーミンが、『ムーミンパパ海へいく』など成長物語色が強くなる。私はこの物語にヴァージニア・ウルフの小説『燈台へ』を連想した。ポストムーミンの小説は、老人などが取り上げられ、シリアスな小説になっている。
      この本にはムーミンに登場するキャラクター81人が大集合していて、楽しい。スナフキン、ニョロニョロ、ヘムル、ちびのミイ、スニフ、フレドリクソン、フィリフヨンカ、など万歳。(新潮社。冨原真弓、芸術新潮編集部編)