小左田定雄『米朝らくごの舞台裏』

小佐田定雄米朝らくごの舞台裏』
桂米朝』(「ユリイカ」2015年6月号)

  桂米朝さんが亡くなった。小佐田氏の本には、速記での「米朝上方落語選」など活字化された本や、レコード、カセットテープ、CD、DVDな、音声や映像の資料情報が載っていて便利である。
雑誌「ユリイカ」は、桂ざこば桂米團治月亭可朝上岡龍太郎氏らのインタビューが特集されており、米朝がいかなる落語家だったかが良くわかる。織田正吉氏は「米朝山脈」と書いているくらい、上方落語の一大山脈を形成した。織田氏がいうように、米朝落語のマクラは、的確な必要十分なお笑いがあった。森本淳生氏は、口演のリズムの良さと、柔らかい声をいう。
   弟子のざこば氏は、米朝師が稽古をしている姿を見たことがないという。そこではたと気づく。弟子におしえることで、稽古をしているのかもしれないと。小佐田氏の本は、演題別に40席精選し、舞台裏話をつづっていて興味深い。
   米朝といえば、オハコといわれる「地獄八景亡者戯」という1時間にわたる大作がある。冥途に来てみると、娑婆と同じ歓楽街や興行街があり、亡くなった名人が公演している。米朝という名がないなとみると、「近日来演」と書いてある。そうか、とうとう米朝さんも公演に参加したのかとも思う。
山内志朗氏の「形而上学米朝論」は面白い。「地獄八景亡者戯」を「往生要集」や「神曲・地獄編」でなく、井筒俊彦の「言語アラヤ識のM領域」の曼荼羅的な魑魅魍魎が溢れる世界の創造と比較している。
小佐田氏によると、米朝は死に対して淡泊で、死をジョークとして使う。(演目「けんげしゃ茶屋」)2004弟子の喜丸が47歳で夭折したが、その夏「喜丸に久しぶりにでてもらおうか」とマネジャーにいい「おーそうか、きまやん、死んだのか。米平はまだ生きてるかぇ」といった。米平さんはいまも健在である。
  「百段目」も名作落語だ。船場の旦那言葉を米朝は師匠から教えられ、「ごわす言葉」、「さん」と「はん」の使いわけ、奉公人と旦那の微妙な敬語まで、神経を使い、米朝によって「百段目」は完成した。落語は何人の手が入って「古典」として成長していくと、小佐田氏は演目「除夜の雪」で指摘している。(『米朝らくごの舞台裏』ちくま新書。『ユリイカ青土社