日暮吉延『東京裁判』

日暮吉延『東京裁判

     今年は敗戦から70年である。連合国11ヶ国が28人の日本指導者を「平和に対する罪」で裁き、「共同謀議」で「侵略戦争」をおこなったことで有罪とした。自衛戦争論は認められていない。日暮氏は、冷静に実証的に東京裁判を丹念にたどっている力作だと思う。
     連合国は何を告発したかから始め、日本の対応、判決はいかに書かれたかを辿り、なぜ第二次東京裁判が実施されなかったか、なぜA級戦犯は釈放されたかを、客観的に描いている。
     日暮氏の立場は、東京裁判は連合国と日本双方にとっての国際政治の「安全保障政策」だったという論である。「文明の裁き」か「勝者の裁き」のどちらも採らない。肯定論でも否定論でもない現実的国際政治の視点からみようとしている。
     判決当時は「第二次世界大戦の論理」と「冷戦の論理」の相克が、東京裁判にも影響を与えている。日暮氏はA級戦犯釈放(岸信介重光葵など)と、戦後政治への復帰をニュルンベルク裁判のナチ戦犯と比較して、日本人戦犯は対外的には「国際法上の犯罪人」。体内的には「国内法上の非犯罪人」という「二重の基準」(ガブル・スタンダード)で処理された特異な存在という。
     東京裁判を受容して、日米安保条約の協調路線が成立する。他方国内では、靖国神社へのA級戦犯合祀は、東京裁判否定の旧軍人が厚生省にたむろし、消極的な靖国神社を押し切った。これも「二重の基準」なのである。怨念に満ちている。
     東京裁判の戦犯は、「平和に対する罪」だけでなく、戦時国際法違反の残虐行為の司令官(B級)でも有罪になっている。南京大虐殺の罪も有罪とされた。私が疑問とおもったのは、ナチ・ドイツのユダヤ人虐殺の「人道に対する罪」が東京裁判では、まったく無視されていることである。朝鮮人、中国人の強制連行や、従軍慰安婦問題が裁かれなかったことが、現在まで歴史認識として、戦争責任としてのこされてしまった。
     また、軍産複合体に対する戦争犯罪への、戦犯化が弱い。鮎川義介などがA戦犯容疑者になったが、ドイツの産業指導者の裁判に比べ弱い。やはり「冷戦の論理」が働いたのか、日本の工業力復興のアメリカの期待があったのかもしれない。
     例え「平和主義」の立憲君主だったとしても、開戦に同意した昭和天皇不起訴という政治的前提で成立した東京裁判が、不公正な裁判だったともいえる。
     東京裁判もニュウルンベル裁判も、戦間期の「不戦条約」の違反を基盤にしていた。だが「現代の戦間期」では、核不拡散条約の再検討会議において、反平和、反人道の核兵器を違法化する「核兵器禁止条約」さえ法的に結べない。核戦争後に果たして、こうした戦争犯罪法廷が開設されるのか疑問である。いやもう戦犯も被害者も絶滅し、裁判は開かれないのかもしれない。(講談社現代新書