レム『砂漠の惑星』

スタニスワ・レム『砂漠の惑星』

    レムのSF小説は魅力的である。この小説も、宇宙の星での未知の非生物とのコンタクト物語とも読めるし、宇宙冒険物語とも読めるだろう。だが、この小説にも。地球中心主義や、人間の科学的理性の限界が描かれており、宇宙には人間の想定出来ない未知な存在があり、それとの遭遇に人間はいかに対処するかが鮮明に出ている。
    消息を絶った宇宙船を探索するため、「砂漠の惑星」に降り立った宇宙船無敵号は、荒廃した宇宙船と、全員死亡した乗組員の遺体を発見する。この惑星は、異星から来た自動機械のみが生き残り、電子脳を供えたサイバネックス機械が支配している。羽虫のような小さな金属片の集合体である「黒雲」が、太陽エネルギーを吸収し、強力な電磁波をつくり、人間生物の脳神経を破壊し、記憶を喪失させ、赤ん坊にしてしまう。
    レムの異星の存在は奇妙な存在だ。『ソラリス』では超知性体の「海」だった。この小説では、金属の植物であり、「黒雲」なのだ。ともかくスリルがある。ロボット戦車キュクロベスと、「黒雲」という自動機械同士の死闘は、興奮して読んだほど凄い。
    だが、地球で人類が培ってきた「戦争―防衛」という生き方が、果たして宇宙の惑星では通用するのだろうか。生命のない自己組織の動きに、ありつたけの武器やエネルギーで幻の敵意を作り出し、攻撃してくると思い込み、撃破しようとする無駄な試みへのレムの批判がある。
    金属怪物との戦いに犠牲者を出し、最後には無心で無武器の一人の人間が立ち向かい救援に赴く場面は、小説家レムの真骨頂が出ていて、感動する。
    レムは1921年ポーランド(いまウクライナ)リボフに生まれ、ナチ・ドイツの戦争、ソ連スターリン独裁化に生きた。自動機械的な集合体「黒雲」に、私はナチ・ドイツや共産主義官僚体を連想してしまうのは地球中心主義による誤読だろうか。(ハヤカワ文庫、飯田規和