レム『ソラリス』

スタニスワフ・レムソラリス
  
     20世紀SFの傑作である。多層な小説の構造を採る。宇宙に出て行く人類が出会うであろう「未知なもの」を、人間が考えていたどんな存在とも異質であり、相互理解も不可能に近い「他者」として、レム氏は捉えている。
     人間中心主義による人間の理性的認知とはまるで違う「生命体」(果たして生命体といえるかどうか)を、海の惑星「ソラリス」として描いていく。レム氏は自作を語って「人類が、他の星にいたる道の途上で、理解不能な未知の現象に出会った場合の製作見本となるはずの作品」と語っている。そのコンタクトは、人間と人間の間のように実現しないのだ。
     ソラリスは軟体的な「海」惑星で、それは人類に害を与えはしない。受容して観察している。人間の脳の潜在意識まで取り込み、隠されていた欲望を原形質によるミモイド(擬態形成体)として、宇宙飛行士の前に出現させる。この主人公ケヴィン博士は、亡くなった恋人のミモイドが不死の存在として現れるのだ。
    惑星ソラリスは果たして何なのだろう。レム氏の凄さは、ソラリス学という地球上の架空の書物を、図書館で読むシーンが出てくる。その多数の書物が、架空の書評で描かれる。メタフィクションの手法だ。でもいずれもソラリスを捕らえきれず、謎のままなのである。ケヴィン博士と恋人ハリーという影のようなミモイドとの接触も奇跡的な愛に発展しそうなのだが、ハリーが自己認識の非存在に気がつき始めると。自己抹殺にいたる。
     ソラリスに最後に降り立ったケヴィン博士は、異質の他者を理解できぬままそれでも対峙しようとするところで、小説は終わる。翻訳者・沼野充義氏によると、タルコフスキー監督の映画は、地球=人類中心主義で、擬人化を嫌う「違和感の人」であるレム氏には不満であったという。人間の限界性を、SF小説の形でこれだけ描いたレム氏の想像力は凄いと思う。(ハヤカワ文庫、沼野充義訳)