須田桃子『捏造の科学者』

須田桃子『捏造の科学者』

      世紀の大発見と騒がれた「STAP細胞」事件が、科学史に残る不正・捏造になる一連の過程を描いた科学ジャーナリズムの傑作である。毎日新聞科学環境部の須田桃子記者の渾身の取材によって、綿密に辿られていく。ミステリのようなサスペンスがあり、誰が何故捏造したのかの検証が、見事に書かれている。
      iPS細胞でノーネル賞受賞した山中教授を乗り越える発見の記者会見から始まり、小保方晴子氏のフィーバーから、ネット上の疑惑が浮上し、理化学研究所調査委員会の改ざんと捏造の認定、小保方氏や助言者。笹井芳樹氏の反論が辿られている。さらに不正確定と、論文撤回に至り、笹井氏の自殺と、理研発生・再生科学研究センターの「解体」にいたる。
      須田氏は、シロウトにはわかり難いSTAP細胞の仕組みや、その検証の問題点をわかりやすく説明しながら、共同研究者若山照彦山梨大教授や笹井氏はじめ、理研の調査委員会メンバー、第三者委員、さらに生命科学の研究者などの生の声を取材し、人間関係、研究実態にまで踏み込んでいく。
      特に自殺に追い込まれた生命科学の権威で、誠実で基礎研究を重視し、若い研究者育成に熱心な笹井氏との、40通にわたるメールをとおして、何故捏造を見抜けなかったのかの謎まで迫っている。残念なのは、小保方氏が取材など姿を見せず、弁護士しか窓口がないので、詳しい生の声による状況が明らかになっていないことである。いたしかたないが。
      2002年に、アメリカ・ベル研究所で起こった超伝導をめぐる「シエーン事件」との須田氏の比較は、面白かった。チェック機能を果たさないシニア研究者、一流科学雑誌の商業主義という落とし穴、研究場所を巡り歩き大学院時代から論文不正をおこなっていた研究者、研究費や運営費交付金削減と競争・成果主義の過熱、などをあげている。だが疑惑発覚後の対応は違いを述べ、ベル研は早急に調査し厳格に処分したのに、理研は組織防衛のためか対応が甘かったと、須田氏は指摘している。
     私の推測で申し訳ないが、小保方氏の仮説・発想はすばらしかつたが、実験で理想な結果がでず、偏執したため、コピペの技法を、実験まで拡大し、ES万能細胞やT細胞をコピペした実験に惹かれていっていってしまったのではなかろうか。共同研究者も、十分な裏づけを取らず熱狂してしまったのかもしれない。
     文化批評的にいえば、いまや生命科学は「コピペの時代」かとも思う。遺伝子操作、クローン技術、再生医療など。その行き過ぎがSTAP細胞事件に、負の要素として出たのかとも思う。(文藝春秋