神谷和宏『ウルトラマン「正義の哲学」』

神谷和宏ウルトラマン「正義の哲学」』

   神谷氏は中学教師として、ウルトラマン・シリーズの「読解」により善悪や、「真実の正義」とは何かを生徒とともに考える授業実践をしてきた。この本は、そのエッセンスがつまっており、ハーバード白熱教室のサンデル教授の正義の討論授業に匹敵する。これこそ、今後の道徳教科のモデルにもなると思う。
    いま他者を、悪意をもつ「敵」とみなし、排除しようという風潮が強まっている。果て無き「正義の味方」願望も強い。「ウルトラマン」には「正義」があり、怪獣という犠牲者もいる。しかし、その正義が絶対的正義である保障はない。犠牲者側の正義も考える必要がある。
 「ウルトマン」シリーズが放映され、50年を過ぎた。日本特撮映画至上最高の作品かもしれない。ゴジラとはまた別な意味で、そこには善悪二元論や勧善懲悪でない哲学がある。金城哲夫市川森一氏らの優れた脚本の上に成り立っている。
     「ウルトラセブン」42話「ノンマルトの使者」は、地球防衛の名のもとに侵略者になってしまうことに悩むヒーローとしてのウルトラマンがいる。「ウルトラマンガイア」では、人間の立場にたつウルトラと、地球全体の立場にたつ二人のウルトラが登場し、正義の相対化が行われる。
    合理主義と科学技術文明と自然環境回帰の正義の葛藤のなかのウルトラマンがいる。「ウルトラマン」30話「まぼろしの雪山」は、文明的正義(科学特捜隊、営利、人間、ウルトラマンなど)と、自然的正義(女主人公ユキ、クマ、感傷、怪獣など)との正義が分かれる。ウルトラマンの正義が犠牲者を生み出し「文明で武装した新たな野蛮」にまることもある。
  「ウルトラマンティガ」3話「悪魔の預言」は、自己有用感への狂信的陶酔が倒錯した正義感をだかせる。オウム真理教原理主義の正義のあやうさをあつかう。「ウルトラマンメビウス」にはポピュリズムによる「大衆の正義」がのべられていると神谷氏は見る。
      ナショナリズムの異国排除、戦争が怪獣を生み出す正義は、「帰ってきたウルトラマン」33話「怪獣使いと少年」に見られる。メイツ星人は悪をしないのに「宇宙人」と大衆に差別迫害され、そこから暴力化していく。神谷氏のこの授業は、迫力がある。
  あいつらは「敵」だという視線が敵をうみだす。神谷氏はウルトラマンから、多様な価値観の共生、多神教的な異種の正義との共生、敵を倒すのではなく、対話で存在価値を認める「ウルトラマンコスモス」の、中庸と折り合い・妥協の重要性を読み取っていく。(朝日文庫