『辻征夫詩集』

『辻征夫詩集』

  辻征夫の詩を読んでいると、鬱屈した激しいものが、日常の平凡な生活の中で「明るく」やさしい言葉で表現されているのに驚く。
     「タバコと パチンコと 恋と 卑俗と かぎりなく 純なものと となりあい まざりあって ふきあげる高貴な現実 それがぼくのうたでありたい  ぼくの詩でありたい」(「タバコ」)
  この文庫の谷川俊太郎氏との対談で、辻は、現代詩にかっちりした枠があるかのように書く詩人が多いといい、「本当は、生きている時間の中でかかなければいけない」と話している。辻は、東京都住宅供給公社の職員として勤めながら詩を書き、平成11年に60歳で亡くなった。
 「三つばかり」という詩。「酒でしかふさげない 隙間があるんだと 詩人はいった 部屋のすみは 洗濯物の こだかい丘であった 酒でたりないものぶんは あれで隙間をふさぐのだろうか」。
     辻の詩には不思議な日常のユーモアがある。私は井伏鱒二の小説や、詩を連想した。
 だが辻のなかには激しい空虚な情念が渦巻いている。「唇には歌でもいいが こころには そうだな爆弾の一個ぐらいはもっていたいな」(遠い花火))辻はいう。「詩はどこかで予期しないことがおこらないとつまらない」
「血まみれの抒情詩人がここにいて 抒情詩人はみんな血まみれえと ほがらかに歌っているのですよ」(「萌えいづる若葉に対峙して」)
 だが辻は「無垢な心」を重んじている。「きみのなかに残っているにちがいない ちいさな無垢をわたしは信ずる それがたとえ蟻の涙ほどのちささであっても それがあるかぎりきみはあるとき たちあがることができる 世界はきみが荒れすさんでいるときも きみを信じている」(「蟻の涙」)
  谷川俊太郎氏は、解説で、20世紀日本で穏やかな家庭生活を送りながら、「労働」と「詩」の相克を生き、時代と社会の圧力に苦しみながら、「こみあげてくるもの」という「個人の業」を無視することができなかったと述べている。その通りだと、私も辻の詩を読みながら感じた。(谷川俊太郎編「辻征夫詩集」岩波文庫)