佐々木敦『「4分33秒」論』

佐々木敦『「4分33秒」論』

   20世紀現代音楽の作曲家ジョン・ケージの作品「4分33秒」を論じた音楽論で面白い。この作品はピアニストがピアノの前に座り、何も演奏しないで4分33秒たち退場する曲である。1952年に初演されたとき物議をかもした。無演奏で、会場の内や外の音しか聞こえてこない。
   現代音楽の解体かともいわれたが、その後様々な解釈が行われ、ミニマル音楽、不確定性音楽、偶然性音楽、コンセプチュアル音楽など、現代音楽に大きな影響を与えた。音楽を作曲家や演奏者から、「聴取者」に主体を置き換えるといわれたケージの作品も、いまや作曲家の著作権として保護されているのも皮肉である。
   佐々木氏は、この曲を詳細に考察し「音楽」とは何か「音」とは何かを論じている。同時に現代音楽論にもなっている。「無響室」の体験から「音」と「沈黙」について原理的に考え出す。「聞く」と「聴く」の違いもはっとさせられる。現在性・一回性・不可逆性の聴取しないものを聴取するという「聴取」の重要さも述べられる。
   佐々木氏は、4分33秒の時空間の設定という「枠」と、演奏しない「無為の行為」という二つの視点から見ようとしている。芸術における「枠」と「中身」という問題まで広げ、映画や絵画まで広げて見ている。佐々木氏は絵画のデュシャンのレデイメイド「泉」や、ホワイトペインテイングとは違うという。構造映画とも違う。
   「聴取ではなく体験、官能でなく認識」重視し、聴取が神秘主義に傾斜すると述べている。佐々木氏が、この曲に時間の持続と超越という「タイムマシン」的意味を見いだしているのは面白いと思う。純粋な時間の経過を表した「純粋芸術」だという。
私は、禅仏教の座禅による「無の時間」の持続による自然世界への没入という「環境音楽」だと思うのだが。(株式会社Pヴァイン刊)