ルネ・サバタ『ロシア・ソヴィエト哲学史』

ルネ・ザパタ『ロシア・ソヴィエト哲学史


   サバタ氏の指摘のように、この200年のロシアの哲学史には悲劇的側面がある。絶対専制権力の支配のなか、西欧思想との葛藤のなか、ロシアの独自性・民族性の思想形成と実践的統一性は、ロシア哲学の言語に切迫性をもたらす。
  エカテリーナ女帝による西欧啓蒙哲学の導入以来、教養階級(知識人)の増大も、1861年の改革も、20世紀初頭の「文化ルネスサンス」も成功せず、ロシア革命によるマルクス思想の国家イデオロギー化をもって終わるのである。
   サバタ氏は、1917年の10月革命で突如として決定的思想断絶が起こったとは見ていない。チェルイシェスキーからレーニンまでの思想を丹念に追い、1840年からの知識人の批判的・革命的伝統の延長と考え、ベルジャーエフのように革命後も問い続けた思想家も取り上げている。ソ連社会主義の影に民族的思想が隠れているのだ。
   18世紀にも「ロシア的霊性」と西欧啓蒙哲学の葛藤は、19世紀の諸論争まで引きつながる。デカプリストからチャダーエフ思想までの歴史は「スラブ派」と「西欧派」の大論争になる。スラブ派のホミャコーフやアクサーコフは、西欧の功利主義や合理的個人主義思想に対して、ロシア正教会の霊的共同体や農村共同体の思想を構築する。
   西欧派は、ベリンスキー、バクーニン、ゲルツェンらで、西欧啓蒙哲学を基盤に自由主義民主化、知識人の社会参加と実証的科学精神を唱える。この論争後1860年世代には人民主義と虚無主義の対立が生まれ、人民主義からマルクス思想の移行期にプレハーノフがでる。重要なのは、「ロシア的霊性」の復興として、哲学と科学と宗教の総合を論じたフョードロフやソロヴィヨーフの思想だろう。それはベルジャーエフ思想まで行きつく。
  20世紀になると、ボリシェヴィキの哲学が、戦闘的唯物論弁証法に結実し出てくる。レーニンの哲学からスターリン哲学の国定化の過程も興味深い。遺伝学のルイセンコ学派や言語学のマール学派についてもう少し詳しく論じてほしかったが。このサバタ氏の本は、ゴルバチョフ時代の開放と公開で終わっている。(白水社、原田佳彦訳)