磯崎新『日本建築思想史』

磯崎新『日本建築思想史』

   磯崎氏は、近代世界システムの到来でモダンが日本で始まったが、20世紀になると「古層」「江戸システム」に「近代世界システム」「新世界システム」が重層した日本様式「わ」空間が成立してきたという。
  それを建築家として堀口捨己丹下健三磯崎新妹島和世に代表させて、1935年から2020年までの建築思想を、聞き手の建築史家・横手義洋氏に語っていく。磯崎氏の建築作品や建築思想がよくわかると同時に、モダンーポストモダンーネオモダンの建築の流れも理解出来る。
  1935年堀口捨己の「岡田邸」に代表される作品は、数寄屋・茶室の木造和風住宅と鉄筋コンクリートの近代洋風を、同じ敷地内に引いた一本の線を介して併置した。伝統と近代、内部と外部、江戸と近代システム、都市と非都市の共存する小さな閉ざされた「様式なき様式」で、九鬼周造『いきの構造』の「間」のような建築と磯崎氏は述べている。磯崎氏がモダニズムの始まりを、辰野金吾伊東忠太でなく堀口にしたのは興味深い。
  1955年は丹下健三で、1940年代に浜口隆一とともに「日本国民建築様式」を提唱し、西欧モダンを「物質的・構築的」、日本を「空間的・行為的」とした。磯崎氏の丹下論は面白い。「代々木オリンピック・プール」は東大寺の大伽藍、「広島平和記念館」は桂離宮、「山梨文化会館」は伊勢神宮と丹下は日本モデルを間接的に使ったという。丹下は都市と建築を連続させるメガロポリスを作り上げた。
  1975年は磯崎新に代表され、「群馬県立美術館」で西欧モダンの明瞭な輪郭を持つ物体という建築概念から離れ、虚空間、中空空間の立方体フレームへ還元される。近代批判は、「間」空間重視、谷崎潤一郎「かげり」が闇空間として九鬼周造の「いき」が「間」としての情報空間の基と見られ、「和(わ)空間」内で純粋幾何学形態として創造される。ポストモダンの時代である。
  1995年からは、妹島和世に代表されるとしているのも面白い。妹島により、機能を目的空間に収め、近代的工法で輪郭をつくる近代建築の原理はきれいに消えたと磯崎氏は指摘している。「岐阜県営住宅」は核家族を前提としたnLDKが無くなり、水平に平行する線が、そのまま立体化される。「金沢21世紀美術館」は、ホワイトキューブの集合体になり、観客を巻き込む金沢の伝統的景観にとけ込ませる。
  安藤忠雄などを批判的地域主義に位置付け、場所論=地霊論として批判しているのも興味を引く。この本は、建築思想史だけでなく、近代日本思想史としても読める。(太田出版