マクルーハン『メディアはマッサージである』

マクルーハン・フィオーレ『メディアはマッサージである』

  1967年刊行だが、新訳が出たので読んだ。ヴィジュアルとテクストが混合し、グラフィックデザイナーのフィオーレと編集者エイジェルが協力したため、60年代には、斬新な書物になっている。マクルーハンは電気技術メディア時代(テレビ時代)のメディア論を、印刷文字時代に変わる変革としてとらえたが、いまインターネットの時代にも通用する考察がある。
  自分よりも、ネット上のデータバンクの方が自分についてよく知っているとか、メディアは人間の中枢神経を拡張するとか、前衛的な芸術表現がポップな感性と結びつくなど、いまも生きていると思う。
  60年代の社会が透けて見えてくる。マクルーハンは英文学の教授だったためか、ジョイスフィネガンズ・ウェイク」や「不思議な国のアリス」などの引用や、60年代のポップアートのウオーホル、さらにサイパネックスの影響なども読み取れる。
  印刷技術や透視画法の文化を批判し、断片化、専門化。直線化の文化を批判し、視覚文化よりも聴覚文化や触覚文化を重視する。教育も指導という型紙を押し付けることよりも、「探索と冒険」による「発見」へと転換することを、電子メディア時代に重要だと述べる。近代的な過去展示の美術館や博物館を「バックミラー効果」と批判する。
  「ユーモア」は、コミュニケーションのツールとして、われわれの環境の探索としてもっとも訴求力が強く、物語筋という連続性がなく、複数の物語を圧縮していて有効とも見ているのは面白かった。プロフェショナリズムは、全面化した環境のパターンのなかに個人を埋没させ、アマチュアリズムは失敗することをいとわず、社会の基本原則を批判的に察知する能力を発達させようとすともアマチュア重視をいう。
  電子メディアにより、グローバル世界が小さい村の部族社会になり、集積回路になるというマクルーハンの見通しは、21世紀にますます強まってきているのではないか。マクルーハンは。60年代の「文化革命者」なのだと思う。(河出文庫、門林岳史訳・デザイン監修加藤賢策