アントニー・D・スミス「ナショナリズムの生命力』

アントニー・D・スミス『ナショナリズムの生命力』

   スミス氏によれば、ネイションが超えられるとか、ナショナリズムが別のものに変わという可能性は現状ではないし、未来にも続くという。グローバリズムも、多国籍資本主義も、ネット社会も、地域連合も、ナショナリズムの生命力を壊せないと見る。
   この本ではそれは何故かを、文化歴史的な見方で分析していく。訳者・高柳光男氏によれば、ナショナリズムを「近代工業社会の歴史的必然」とみるゲルナー氏や、近代印刷資本主義などメディア媒介による「想像の共同体」(アンダーソン氏)とみる近代主義に対して、スミス氏は、文化・歴史主義的な見方であると指摘している。
   スミス氏は、歴史を縦横に駆けめぐり、多くの事例を網羅してナショナリズムの形成、発展を論じていき説得力がある。スミス氏は近代以前の「エスニック共同体」と、近代の「ネイション」を分けて考えている。
  「エスニック基盤」とは、集団に固有の名前、共通祖先の神話、歴史的記憶の共有、独自の共通文化、連帯的「われわれ」の集団心理など文化共同体を指している。「ナイション」は、その土台の上に、領域を持ち、全構成員の共通の経済、法的権利、義務を有する物理的な政治共同体だというのである。集団的自己尊厳の共同体である。
   エスニーを持たないアメリカ合衆国や、ポスト植民地国家がネイションを目指すとき、歴史文化をもつ共同体という神話や象徴という「エスニー創造体」に成らざるを得ないという。この視点で近代のネイション出現から、分離主義さらに多元的ナショナリズムまで克明に追っていく。読み応えがある。
   ナショナリズムの生命力を強調しているからといって、スミス氏は、ナショナリズムの擁護者ではない。ナショナリズムには、排除と暴力の暗い側面が伴う。戦争という悪の基にも成る。だが世界における共通言語の形成や、広い地域の「汎ナショナリズム」、ナショナルを超える環境問題、感染症問題、災害問題などが、今後のナショナリズムを変えていく可能性を示唆している。(晶文社、高柳先男訳)