イングラム『僕はポロック』

イングラム『僕はポロック

   20世紀アメリカの抽象表現主義の画家ジャクソン・ポロックを、イングラム氏は、アークル氏のイラスト絵で的確に描き出す。ポロックは、日本だったら破滅型作家といわれただろう。私はジャズ歌手ビリー・ホリディを連想した。
   第二次世界大戦後1950年代の冷戦期、家電製品など消費大国になり、多国籍企業が海外進出していく「帝国」に、たぎる情念を絵画にぶつけ、アルコール依存症で、44歳で自動車激突事故で死んだポロック
   幼少期はワイオミング州に生まれ、西部を転転とした。イングラムも述べているが。ポロックがイゼールを使わず、床にキャンバスを広げ描くのは、ネイティブ・アメリカンの「砂絵」の影響という。壁画も「岩絵」のようだ。
   ポロックは、インド思想のクリシュナムルティの汎神論に感銘を受けたというが、同時にエマソンやソローのアメリカ自然思想とも融合している。広大な西部は、宇宙的空間まで広げられた。メルヴィル「白鯨」が、愛読書というのもよく納得できる。
  「誕生」や「鳩」という絵を見ると、北アメリカ・ネイティブ・アメリカンのシャ―マンのユング的「無意識」が表現されていると思える。イングラム氏は、塗料や絵具を滴り垂らす「ドリッピング技法」も。砂絵の方法だという。「壁画」とか「燐光」という作品は、余白を埋めつくすエネルギーの情念をぶちまけている。
   ニョーヨークでは破滅的なポロックは、結婚しロングアイランド・スプリングス村に隠遁したときが、一番静かで平穏な日々だったようだ。だが、それもつかのま、ポロックはぼろぼろになっていく。
   私は、「秋のリズム」など晩年の黒白の線のカオスの作品は、不思議なことに、水墨画の激しさを感じてしまう。余白がない前衛書道も連想する。なにかアジア的なのだ。アメリカ原始の荒々しいネィテイブささえ感じる。ピカソが、アフリカ的造形とすれば、ポロックはアジア的造形に親和性を持つのではないか。
   資本主義現代の先進文明のアメリカで、ポロックは破滅していく情念の塊だったのは、当然だとも思ってしまう。アジア・太平洋圏に面した西部の情念が、集合的無意識を呼び出しているのか。
   イングラム氏の「芸術家たちの素顔」はルネッサンス期を20世紀に置き換えた、ヴァザーリのような「芸術家列伝」として面白い。(岩崎亜矢監訳、木村高子訳、パイ インターナショナル社)