イングラム『僕はダリ』

キャサリンイングラム『僕はダリ』

   「芸術家の素顔」シリーズと銘打たれたイングラム氏の文章と、アンドリュー・レイ氏のイラスト絵の本は、見事な出来栄えである。『僕はウォーホル』に次ぐ本で、20世紀シュールレアリズムの画家ダリの生涯と作品を描いている。
   ダリといえば、「記憶の固執」という油彩で、ふにゃふにゃに溶けた時計の不思議な絵が思い起こされる。スペインのポルト・リガトで、愛するパートナーのガラと、幸福な、時間がゆったり流れる生活の時を描いたという。イングラム氏は、哲学者・ベルグソンがいう「持続」すなわち「時の持つ真の持続性」を表現しているという。だがこの絵は、背景には精密なカダケスの海と硬質の地質学的岩壁が描かれ、前面の溶けた時計と無定形なものが対照をなし、不安を掻き立てる。夢のような奇妙な絵だ。
   ダリは、晩年に原子論や核に焦がれ「炸裂したラファエロ風頭部」という作品を描く。原子論と古典主義の融合。イングラム氏によれば、広島原爆投下への大きな恐怖が現れているとダリは語るが、この痛ましい出来事を「使える」として利用したのだという。評論家オーエルは「ノミのように反社会的だ」とダリを批判していた。
  ダリはスペイン内戦のときアメリカに逃げ出し、フランコを戦後支持する日和見主義だったし、レーニンを茶化す絵を描き、ブルトンからシュールリアリズム運動から排除され、カトリックになっている。金儲け以外にダリには社会的な運動に興味はなかったのではないか。それよりも驚異の世界の創造を、創造主のように専制的に作り出すことに情熱をそそいたと思う。ダリ自体がシュールな存在だったのだ。
   ダリの初期の作品は、ピカソもそうだが、「異常なまでのリアリズム」がある。この本でも「窓辺に立つ若い娘」や「岩山の前の女」が紹介されている。写真や映画の時代に画家が、伝統的手法とそれを破る大胆な手法をいかに組み合わせていくかという、20世紀絵画の在り方がダリにも見られると思う。(パイ インターナショナル社、岩崎亜矢監訳、小俣鐘子訳)